そのひぐらし

そのひぐらし。日記のようなことを書きます。気に入ったらぜひラブコールをどうぞ。

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ゆめ

夢ってなんだったっけな。  

意外なもので、こんな「夢もチボーもない世の中」でも実はみんなけっこう夢を昔は持っていたりしたんではないでしょうか。

俺もあります。

映画監督!

僕は映画監督になりたかった!

映画を作るのは大学1年生のときに少しやって続かなかった。
入り方としては悪くない方だったと思う。けっこうまじめにやってるサークルで親切な先輩に囲まれて監督第一作も撮らしてもらった。ガンマイク移ったり、画がつながらなかったり。初めから海ロケだったから音がわれまくってたりのでひどい出来、しかも編集はしていない、稀に見る無責任監督作なのですが、僕はあのころ「いやあ、猿くんてなかなか深遠な映画を撮りたがるんだねえ」と先輩をしていわしめた問題作を、大学の演劇部の友人まで引っ張り出して撮ったものでした。

あああ、そうだね。あのころ役者えの道に転向してでも映画を続けていればー、と思うこの感情を人は後悔と呼ぶのだね。いやあ、しかし、俺はそういうものに対して、今更ながら気づけるし、まだ学生やってるしって言う状況で、かなり幸せなほうですな、と思うのです。

いずれにしても人は夢を追いかけて生きることが大切なのだと思うのですな。

ああ、俺は快楽殺人者の役でそれこそ「一役」有名人みたいな状況を期待するのです。
最近、高学歴役者みたいなのも注目されてるしね。そういう意味では、今回の大学院への進学がそっち方向で役にたったりしてー。ぷー。

そろそろあきだな。

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  1. 2008/09/09(火) 23:05:54|
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ようしっ!

久しぶりに書きますが、誰も見ることはないのでしょう。

ただ、なんとなく昔の自分に感化もされ、今日の自分のスタート位置を見極めかねて、昨日の君たちに対して懐かしさを感じたからここに新たな一歩を踏み出してみようと考えたのです。

あのころの僕らの地平にはこんな未来など用意されているとは思いもよらず、外皮どころか内臓の乾きや肺の痛みが今自分に与えている現実とは、あのころsaruが感じていたよりずっと現実的な漢字もして、複雑な気持ちになってしまいます。

この半フィクションのブログの登場人物たちはいま、大人になって現実と向かい合っている中、相変わらず、あのころ願っていたようにsaruは子猿のままでいるのだから、ここにこうして再登場するのは不思議なタイムワープをしたような奇妙な感じなのですが、そこに満足という言葉や、昨日より今日より明日が良いというような現実視は見あたらないのがはっきり言えば、残念なのです。

この先、大学院へ進み、また人生の記録を徒労と思いついたのが、昨日の深夜3時半。思い立ったらの姿勢は変わっていないのですが、吉日は遙か彼方の美しい記憶の中にしまいこまれてしまってもう手に触れられないのです。

「saru」という自分の回復と、新しい「ニンゲン」としての自分に向かい合う日々を、僕はこのブログを通して試行して往きたいというところです。

文体から伝わるこの現状のやるせなさは自分にとって「さいあくだー」という感じもするけれど、きっといっとき最悪な人生の主人公として生きることもこの先浮かび上がるために必要な準備期間なのだと考えてやっていったらいいでしょう。えっへっへ、あいもかわらず他人事ー♪

いやー、なんか久しぶりに書けて良かった。しかし昔書いてたやつとはかなりテンションに差があるのねー。自分でびっくり。もうほんとほとほと自分にびっくりやわ~
  1. 2008/09/03(水) 11:10:54|
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そのひぐらし 開設


その日暮らし、その日暮らし。

けっこうたいへんです。

だけども楽しいです。

酔っぱらって金無くて、でも見栄張って後輩にはおごる。

しょうがくせいみたいね。

太陽が高く出る日はテンションが上がって、雨が降ったらなんか悲しい。土曜日の午後の人がいない町をのっしのっし歩く。

昼に起きて本を読んで暮らす。

夜はご飯を作って酒を飲む。

かんぜんにだめにんげん、だけどそういうのちょっと超えたら「はっぴーらいふ」。まー括弧付きで許してよ、人生。


リニューアル。おれぜんかい。かなしい日々をしぬまでいきよう。


あいするものが多すぎて抱えきれないさ。


  1. 2007/02/22(木) 01:46:19|
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ふがいないや

今日大学がまた始まって気づいたことがある。
「自分てダメだー」
っていう漠然としたものこそが自分をダメにしてたということや、希望のない世界はやっぱり希望じゃ語れないということ。
俺が悲観して覗く色眼鏡の世界はきっと誰かからの目から見た世界と違う色をしてるからそれでもいいじゃないか。いまの俺に自信を持つことは難しい。でもなんとなく人の言う「自信を持つ」って間違ってる気がする。みんなは「今の自分でいいんだ」っていうことを語る。普通にそれでいいと思ってる訳じゃないのにそれでも自信を持っていた方がうまく生きられるからそうしてる。

感想「くだらないなぁ」

俺はたぶんくだらないなぁ、の先にあるはずの世界をいつもぼーっと見上げてる。待ち望んでて何かをするわけでもない。

悲観とか否定とか、普通の人が普通に語ると俺の世界観なんて「否定的だ」と否定されるような物で、それでもそんなことを言ってくれる奴の中には俺の好きな奴もいる。それはやさしい奴ら。本当にそれを信じてて俺を慰めてくれる奴ら。

そんな奴らの声が届かないこの箱の中で俺は自分の言葉を語る。
俺が好きなそんな奴らがこの言葉を「慰め」っていう攻撃でかき消してしまわない守られたスペースで自分の思う「愛」を語る。

現実にはもう魂も汚れて鈍色の。光をその奥の方に沈めてしまった。もう現実的な手段も取りかけてる。俺はとにかく生きてやらうと今は思っている。くだらないけれど、いつかくだらなくない。そんな人生は希望に溢れてると思う。具体的な夢はない。それでも人は最善を最高と勘違いせずに生きていける生き物だから、自分が正しさを語って生きる悪人ならばそれでいいと思う。

今日目黒駅に向かう途中の高速の下の大通りの横断歩道を渡るときに気づいた。自分の声。俺にはともだちなんかいない。

それでよかったんじゃなかったのかな。

なんでわかりあえるかもしれないって誘惑に取り込まれてしまったんだろう。何も信じない、何もわかりはしない。誰にも隙は見せたくないのに心の奥で信じてるあのもう鈍色の外殻に閉じこめられた光がささやく。

ふがいないや。

そう信じてる。

人は希望に満ちて行けるということを。

俺はいつでも信じている。

俺にはともだちなんていない。

俺には信じるものなんてない。

大事な物なんてない。

それを確認するために遠くに行ったりしたけど、大事なのは悲しいくらいに自分を守ってくれるものだけだった。いやになって、帰ってまたいやになって。

もう少しこの外皮が硬くなるのを待とうか。

もう少ししたら冬も来る。

何もかも閉じこめてくれ。

そこに俺はいなくても、大丈夫。
誰もいないのは大丈夫。僕は僕です。

何の心配もいらないし、この世界だけが変わっていけばいい。勝手にすればいいさ。俺は反抗してやる。お前らみんなに反抗してやる。
  1. 2006/09/26(火) 03:37:11|
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キャンプ

今年も小学生12人とキャンプに行ってきました.
場所は津久井湖から30分くらいの山奥で,近くには川があってサカナが捕れたり泳げたりする所です.「今年も」というのは,実はこのキャンプには大学2年生の頃から参加しているのでもう3回目なのです.それなので前々回から参加していた子どもも相変わらず来ていて,毎年成長していくのが見られるという喜びも感じられるようになってきました.
このキャンプに来る子ども達は総じて暴れん坊が多い気がします.俺が彼らと同じような頃はもっと聞き分けも良かったなぁ,と思ったりします.それは助成者として参加する俺たちの接し方がうまくないのか,彼らの生命エネルギーが尋常じゃないのか...まぁ,結局みんな怪我をしながらもとっても楽しんでいて,助成者はそれに対処すべく奔走しているという状態で4日間は過ぎていくわけですが....
そうして4日間が過ぎ,帰りのバスでは少し奇妙な空気が流れます.バスは山奥からどんどん人里に向かって進むわけですが,それに連れて,あんなにワガママ放題だった子ども達がそれぞれバスの外にうつろな目をむけて,だんだんと静かになっていくのです.そんな彼らは,俺の目には,現実に戻るための儀式を必死に通過しているように映ります.ただ疲れているのを拡大解釈しているのかもしれませんが,俺にはそう見えるのです.あんな元気だった子ども達が,敬語を使い出したり,悪口雑言に助成者を罵る(笑)のを止めて,「普段」について思い耽っているように...そして,それぞれのお母さんが迎えに来ると,彼らは助成者とはあまり名残を惜しむこともなく「バイバイ」と駅を去っていきました.
彼らは言うなればまだとっても「ふにゃふにゃ」な生き物です.というのは,別に身体が柔らかいということではなく,人として内面にまだ堅い殻を獲得することもなく,とっても柔軟に物事に向かう生き物だ,という意味です.彼らはまだ環境を選ぶことをあまり許されないけれど,そのぶん環境に適応する能力が大人より高い気がします.そして彼らが環境に適応しようとするとき,自分の「ニッチ」というのは意識上には上がらないと思います.彼らにはまだそこまでの社会的な個性,言い換えれば「人間的な狭さ」がないのです.彼らは「熟練」ではないけれど,まだ平べったく薄く伸びた可能性に満ちた生き物なのでしょう.そういう意味で,このキャンプは,「あ,自分はこういうところが人に評価されるんだなぁ」という可能性を,非日常的な空間で子どもが感じる場所なんだと思います.そして俺たち助成者は彼らをそういう目で見て,なるべく評価できるところは評価する,という役割を持っているのだと気づかされました.
俺はまた来年もこのキャンプに関わりを持つかもしれません.そのときにはきっとまた子どもはすごいエネルギーで俺たちに向かってくることでしょう.それはもちろん自分たちをひどく疲れさせるはずですが,そのとき俺は自分が生きていく中で消去した可能性について考えながら,彼らに笑顔で接していきたいな,と思いました.
  1. 2005/08/06(土) 08:48:07|
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過去のコトをふまえて

昔の自分は方向として今の自分より正しい位置にいたようです.というのが自分の感想で,しかし今は,より自分一人で戦う状況が用意されました.

かつて自分が死に望んだものはそこに映る生への反動的な積極性なのだろうと思う.そこにラインが引かれている限り私は安全でした.ちょうどゆらぎのない水面に顔を写してみるように.どちらが本当の自分なのかわからない状態でした.境界に近づくことは,方向としてはあちら側へ向かうはずなのに,あちら側にいる自分もこちら側にだんだんと近づいてきてしまいには目が像をつくれない程の近い距離にある.それは同化という喜びであり,限りなくその距離を零にしようとする試みでした.しかし水面に顔が触れるとその像は跡形もなく消え,自分は失われてしまう.ラインは超えられるという点において私を魅了して止まなかったのだろう.しかし私が見ていたのは水面ではなく,ただの鏡だったのかもしれない.衝動的にぶつかることでゆがむ自分の顔を見て嫌悪しているだけだったのかもしれない.今の私には何故か死というものが持つ引力が全く感じられない.

自分の感度が下がってきたのか,自分の生へのベクトルが方向転換しているのか,とにかく言えるのは時間が経ち,全ては「成長」と呼べないのに私の中に積もり積もっているということでした.今の自分が読む過去の日記は明らかに他人の書いたものとして私の中に入ってくる.
今の姿勢というのは,いつもそれが過去にならなくては見つけられないみたいです.
  1. 2005/07/09(土) 11:18:51|
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最近の僕ら

昨日は楽しかった.懐かしい仲間との飲み会がありまして,俺授業のために途中から参加なのに一番騒いでたし.それが俺なのかな,なんて「らしさ」を考えてみたり...土間土間で飲んで,カラオケで騒いで,騒いで,歌って,声枯らして.う~ん,しかし楽しい中に,立ち止まる姿勢を見せる私たち.友人が「人といることで堕落するなら独りでいたい」,と言っておりましたが,そんな言葉が頭に浮かんできて振り払うために大声出して,みたいな.俺自身には,その堕落した状況は必要なエッセンスであって,いついかなる時も何事にも優先されるわけではない,というところでバランスを保とうとしている.そこにある「惰性」というのが人間の性質である限り,意識的にキリをつけることもまた必要である.しかし,「最近の僕たち」が主語になってしまうと,それは容易に手を出せない,光の中に霞んだ想い出に厳重にしまいこまれた偽物になってしまうのかもしれない.「現実」という言葉が周りにはあふれている.今までも仮想や空想に生きてきた訳ではなく,ちゃんと現実によって自我欲求は脳の奥の方へと後退させられてきた.しかしそれが積もり積もりすぎたこの転換期に,私たちが見る虚像としての作られた社会,そこにある規律.新たなルールで生きるための,新たな自分たち.脱皮しようともがいている「最近の僕ら」にとって,現実という虚像は苦しいものでしかない.
そんなものが,最近の僕らからは伝わってくるのです.青春映画が何で最後にそこに描かれた登場人物たちのその後を描くのか,簡単にでも説明して終わるのだろうか,と考えると,それはきっとこのある種の自由が付与された時間の持つパワーに飲み込まれないようにするためだろう.自分を正当化しても戻れない時間というものがあって,僕らは足を前に出しているつもりがなくても,常にそこを恐ろしい早さで通り過ぎている.「最近の僕ら」はそれを知り始めている.そこに,言わば一つの法則しか持たない「現実」において,僕らは今を生きることの重要さを知るのでしょう.
明日が永遠の向こうにあって,お金はなくとも笑いと喜びと惰性が溢れていた僕らに,感謝とさよならを言って.僕らはずっと友達でいたいと思う.



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  1. 2005/07/06(水) 12:59:49|
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教育実習につき

 明後日から教育実習が始まります.
 つきましては3週間ほどこちらのblogを更新できない日々が続くと思いますがご容赦ください.乗っ取り上等なんで,帰ってきて見たら「なんじゃぁこりゃぁ!」と松田優作ばりに言わせる展開を期待...
 ○やさんが最近幸せということで「おめでとう」.たくやさんも「おめでとう」.母に「さようなら」.父に「ありがとう」.すべてのチルドレンに「ありがとう」.(おそらく台詞に誤りアリ)
 では行ってきます.全てのチルドレンに「行ってきます」
  1. 2005/06/11(土) 13:18:20|
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梅雨

もうそろそろ梅雨ですな~.今も雨が降っております.庭の青い紫陽花はモネの絵のようにみずみずしく鮮やかな色をして,この季節には一生懸命咲いてくれます.雨も家の中から見ていれば気持ちいいものですね.
あぁ,,,温泉に行きたいなぁ.
  1. 2005/06/10(金) 11:05:52|
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