そのひぐらし

そのひぐらし。日記のようなことを書きます。気に入ったらぜひラブコールをどうぞ。

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タバコ

タバコ,シガレット,シガー,モク,やに...ふふふ.こいつは全くもって身体に悪いヤツらしいです.
今日俺はバスと一区間競争して勝ちました.目黒駅にて俺の目の前で出発したバスは,庭園美術館前で俺を乗っけたのです.素晴らしい!俺!その後1時間くらい奇妙な音のする咳が止まらず,死に近づいている自分を感じたのです.
そしてバイトの後俺は千歳烏山に住むいっこ下の女の子と「男らしさ」について語りながら帰りました.満員電車の中で彼女が語った言葉によると,「優しさだけじゃいけないよ,少しの冷たさ(気の許せない部分ってことかな?)とかがあって,何でもハイハイと合わせてちゃ駄目なのよ.」ということでした.確かにハイハイと人に合わせて生きるのは楽だし,俺は実際そうすることが多いのです.また彼女の言うには,女が(その子が)ぐっとくる状況というのは,「街をエスコートしてもらう時」,「隙を与えないくらい楽しい話を繰り広げ続ける時」,「男らしい過去をちらりと見せる時」,などでした.う~~~~ん,一つも当てはまらんではないか...俺は,俺は,,俺は,,,駄目駄目なのだろうか?
ということでしょぼくれながら夜道を歩いて,帰り道に公園のようなつくりになっているマンションの中庭で久しぶりにタバコを吸っていたのです.うまくはないし後味も口に残って気持ち悪いのですが,そうやって生きることが定着してしまい,もはや更正するのは難しい状況です.

ちなみに今日のお酒,「slims」という疑似ビール飲料はとてもまずい!ライトビールのようなヌルイ味だし,その上のどごしも何もあったものじゃない.
う~ん,散文...
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  1. 2005/05/28(土) 02:04:40|
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ステージオブザグラウンド

ブログをこの三日間ほど更新しておりませんでした.なぜかというと私三日ほど中学2年生と一緒に長野へ行っていたのであります.それは私が今度教育実習に伺わせていただくことになっている学校の自然教室の付き添いだったわけですが,白馬というところで築480年という歴史を持つ(事実関係は不明)民宿に泊まり,色々な田舎生活の体験をさせていただいたのです.生徒はエロ話とくだらない冗談の好きな可愛い奴らばっかりで,私は彼らとかなり楽しく時を過ごしました.付き添い「先生の卵」という立場だったわけですが,「悠君」とか「兄ちゃん」とか呼ばれてわらわらと取り囲まれ,とっても嬉しかったのです.1998年の長野オリンピックのラージヒルの舞台となったジャンプ台では,船木選手が偶然練習に来ており,彼のK点越えをしっかりとムービーに収めた私でしたが,興奮する教師や補助員(大学生)と違って,中学2年生の中からは「誰それ?」と言う声がたくさん聞こえてきました.彼らは平成生まれだそうです....
そうして少し幸せ胸一杯腹一杯の私は,昼間のストレスのために夜自室で食べていたピーナッツボトルのせいで恐らく体重も増え,これからまた一週間かけて美しいボデイを取り戻すのであります.眠い.
  1. 2005/05/27(金) 02:44:00|
  2. こんな感情
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ひょうひょひょう

という気分.俺は疲れたよ.最近俺を食い殺そうとする怪物の正体がわかってきた気がするので忘れないうちに書いておこうと思う.まず,それは今まで生きてきた人生が原因なんだと思う.俺は自分のことを主人公だと考えて疑わなかったし,そこにあるストーリーも勧善懲悪,ハッピーエンドで疑いなかったわけさ.そして自分の生き方はそれなりに人に認められているという自負も,自分はそれなりに悪くない生き方をしているという望みも,今までなんとなくやってこられたのも筋書き通りなんだろうな,とか思っていたわけさ.そんなわけで,人とうまく付き合えないこととか,意外に短気なこととか,思ったように好きな人と付き合えないこととかも,うまく誤魔化して生きていられたわけさ.時々感じてた「死にたい」という気持もヒーローの持つセンチメンタルを気取ったモノ以上の覚悟でも無かっただろうしね.それが最近では違うんだ.俺はこのまま努力もなしに今まで通り生きていたら,何にも持たない大人になってしまうんだと感じ始めたんだ.他人は慰めてくれるかもしれないが,その言葉ももう心には響いてこないし,それはやっぱり自分が一番自分のことをわかってるからなんだろうね.そんなミスチルのような救いようのない現実視ですが,これは成長なのだろうか?俺はもっと気楽にやっていけたような気がする.どんなことにも気づかずに生きていけた気がする.間違いようのないレールの上を歩いてるということが自明であったころの楽園は,幼い頃に過ぎてしまった時代の記憶のように古めかしく,色褪せた感情になってしまったのです.今では何も自信を持って語ることはできない.何かを語ったとしてもそれは虚飾にすぎず,口から発したそばから消滅するような,いや,むしろ自分を追いつめるような,不完全さを自分に付与する地獄の王のような.完全の国は自分の中にあり,外にはない.不完全の国へようこそ.ここには屍体の君もあります.
  1. 2005/05/23(月) 23:29:51|
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君の街まで

その高台から見える君の街は,遠くシンボル的にそびえるあの目立った高層マンションがちょうどもう沈みかけた夕焼けの太陽の真ん中で陽炎のようにゆらゆらとかすんでいるという様子であった.君と一緒にいた頃は,あの巨大に街を支配しているような建物も私の中で大した意味を持たず,そこは小さな4階建てのアパートと公園と各駅停車の電車しか止まらない駅だけが存在する,とても美しくも小さな楽園だった.あの頃は吸わなかったタバコを義務的にポケットから取り出すと,長く息を吸いながら火を付けて深く肺に煙を入れた.あの頃の関係にまつわる原因や理由と言ったモノを考え始めると,あまりにもヒロイックな自分の趣味に嫌気がさしてきたのだが,同時に切ない物語の主人公である自分を感じ,悦に入っていたかもしれない.自分とも21年間付き合ってくるとだいたいどんなヤツなのかがわかってくるものだ.幼い頃自分は夢の中に生きていて,どんなときでも主人公でいられる自分に疑いを抱くことも,そんな心配を抱くことすら微塵もなかった.いつしか感じることの多くは考えることに取って代わられ,経験が衝動に先行されるようになってしまった.この僕ができる課程で,君は多くを僕に教えた.望むことにブレーキをかける外的規範が僕の眼前に立ちふさがっている.それを悪いとは申しません.僕たちはもう大人なのだから...
僕が自らの手で楽園を失ってしまったあの日の感覚を,僕はもうはっきりと思い出すこともできないのに,未だに僕は白昼夢の中でうなされる.そんな君の想い出をいつでも見下ろせるこの町から僕は今日も眺めている.時間はそんな僕に容赦なく,君の街からこの枯れた少年を引き離そうと太陽を地球の向こう側に沈めてしまったのだ.
  1. 2005/05/21(土) 01:46:01|
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身体というメディア

目は口ほどにモノを言い...と,そんな言葉もあるようですが,身体というメディアがどのような可能性を持っているのか?ふとそんなことが気になりました.やっぱりメディアというと「音声」が基本というところがあり,ともすれば話し方や話のネタ,というのが対人関係のスキルアップとして注目されがちですが,やっぱり特に男女関係において体を使った駆け引きというのはありますよね.女の子なんて自分から告白しない代わりにサイン送りまくっちゃったりして,,,きっと言葉以上に一瞬の振るまいが男をオトすのだと思います.例えが低俗で申し訳ないが,実はこれ,漫画家つげ義春の「ねじ式」映画版を久しぶりにビデオで見て,やっぱり彼の世界観を台詞はそのままに描いた際に,身体での表現がより舞台での演劇のように意識的に意味を持たされメディアという意味合いを強めているな,と感じたからなのでした.アメリカでも演劇というか,いわゆる劇というくくりからはみだした「パフォーマンス」というメディアを地元の学生による公演にて見る機会がありました.そこでは奇っ怪な動きをするあまり美しくもない女性が3人ほど舞台で延々と音楽に合わせているのかいないのかもわからない様子で踊っていました.実際それは大学で年寄りの先生がやる講義ほどに眠気を誘うこともなく,むしろその場の雰囲気を緊張させ続けながら行われた,何か危険な儀式のような場面でした.「難解なモノ」は文学においては時にとても高く評価されることがありますが,芸術においての「難解」とは,文字というメディアではないという点において,また少しレヴェルが違ってくる問題ではないかと思います.ここで紹介した創作ダンスという「パフォーマンス」が,ソーラン節のような「文化」と異なる点は,「文化」が一方で言葉によって説明されるように出生が明らかであるのとは違い,「芸術」における意味はそれそのものである,という点ではないでしょうか.
「あるメディアの内容を形成するのはその都度別のメディアである」という話を聞いたことがあります.それは,テレビの内容を形成するのは映画とラジオであり,ラジオの内容はカセットテープとレコーダーであり,映画については無声映画と磁気音響である,という例えで説明されていましたが,ここでこの「芸術」と称しているモノの存在を確立するのならば,そして,このアナログの産物をメディアとして捉えるならば,それは決して分解されない「それそのもの」ではないでしょうか.と僕は捉えたい.つまりこの場合における「難解さ」は,決して文字によって説明可能な「難解さ」ではなく,あるチャンネルなんだ,とそういうことです.つまり身体という「メディア」を用いた「コミュニケーション」により近い(決して同じではないだろう)チャンネルを持って受け取るべき発信なのだ,と考えてみたわけです.ネギの味をうまく言葉で説明できないとき,「食べてみたらわかるよ」と言いますが,それはつまり味覚と触覚(舌触りなど)に関する説明を「味覚と触覚を使ってみればわかるよ」というようなことですよね.「わかってみればわかるよ」みたいな...言語化できないことであり,する必要もないのだと思いました.
仏教において身体というのはとても重要なファクターであり,キリスト教が精神的な世界にばかり言及するのとは違い,身体的な「修行」「苦行」という要素を取り入れているのもおもしろい点だと思います.キリスト教よりもより「メディア」という観点から仏教は人と神仏との距離が近いのかもしれません.その中でカウンセリングと結びついて身体による「開き」と言いますか,恐らく,不特定,または特定の他者とのコミュニケーションをはかるような試みもあるようです.それなんかを考えてもやはり,チャンネルを啓く,第六感的なモノを手に入れる,ということが必要とされてくる.あとはどのようにそれにたどり着くのか,ということですよね.俺はわかりませんが,自由な発想の可能性は,イコール絵画をはじめとした芸術全般のニューメディアとしての可能性を示すのだな,と再認識しました.
...というのも,結局こんなまとめになりますが,今の社会は「感じるんじゃない,考えるんだ」ですね.俺は「考えるんじゃない,感じるんだ」でいたいんです.そうすることが理屈上よりリアルではないでしょうか?
  1. 2005/05/20(金) 01:03:50|
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レノン

レノンはすごいと思う...とMOTHERを聞いてふと思った.鐘が鳴って「マザー」って言ってピアノとギターと軽いドラムのたったそれだけの世界が宗教的ないわゆる神秘性を持って私の内面に働きかけてくる.悪魔的な色反転の世界で女性の体を持ち羊の頭を持ったカニバリストによって血の祭壇へとその身を持ち上げられる屍体.意味はないが.それが私のチャンネルであるという事実を変えることは誰にもできなかったでしょう.感性を啓くというアメリカ以前の芸術のような感覚が今日少しだけ理解できそうな気がした僕を笑わないでください.愛を感じるというのは回帰的な結合への意志以外にあり得ない現在の私を責めないでください.
全く関係ない話.
俺は人に嫌われるのが嫌なんです.それを恐れない人をうらやましく思う.幼少期,大人の感情に任せた無責任な振る舞いと自分に対する仕打ちとの因果関係を,そこにある「善」を必死に見極めようと努力した僕はきっとよい子であるための法則を未だに探し求める内なる子供から逃れられないで,心の中にあるその子供を捕まえることも飼い慣らすこともできずにいるのではないだろうか.そうして母を求めている,そこに恋はなく.自分の母親を捨ててしまうことで遠い昔に明らかに捨てられた子供の自己を取り戻し,そこに「家」を求めようと思うのか.
こんなことは恋人には言えない.すでに自分の中で何が欲望を形作るか考えたときに苦しむのなら,もう私は恋人を作れないが,常に心の中にある嵐はおさまることはない...


love is real. real is love. love is feeling. feeling love. love is wanting to be loved.
love is touch. touch is love. love is reaching. reaching love. love is asking to be loved.
love is you. you and me. love is knowing we can be.
love is free. free is love. love is living. living love. love is living to be loved...
  1. 2005/05/18(水) 02:27:19|
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過去の産物10

●12月28日
 ニンゲンという装置の機能。有機的な社会構造において、機械化による身体・精神機能の外在化。複製。人類の夢の実現。溶け出す自己と、しかしこの社会に対する帰属意識の弱さ。それは自己に対する拒否に他ならないが、個人はもはや自分が普遍的であることに気づかずにいる。個人が集まってつくるこの幻想の共同体。それでも個人はさらに普遍を求めるのか。どこへ向かうのだろう。完全な自己。神格化。いや、完全な球のような存在。欠けることなく。
 人がこの社会の中で関係を感じる領域は狭くなってきているだろう。情報はある場所に限定されるものではなくなってきたために。足の機能の外化。個人に関する空間の縮小。しかし、それと同時に身体機能、また心の機能の外在化が求められるのだ。もともと人類も何らかの不明な要因によってこの地球上の何らかの物質から組み立てられたものである。そうすれば、私たちも動物や植物や、無機物とさえ同じだ。魂の不在の証明。あぁ、この普遍性は私を内臓から溶かす。全てが紛れてその個としての形を失ってしまうような非現実的なこの願望は性欲や食欲とどう区別できようか。「同化」こそがニンゲンの欲望であり、根底の帰属意識であり、個体という限界において垣間見るこの空想は甘美だ。
  1. 2005/05/17(火) 02:33:45|
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過去の産物9

12月2日
頭痛がひどい。吐き気もしてきました。これは何なのか?感情なのか、生理現象か。左の頭のこめかみあたりに何かものが埋まって左あごの付け根に苦しみを与えてそれが神経的にお腹の気持ち悪さを引き起こしているという感じ。気持ち悪い。虫かな。虫は相変わらず俺を餌だと思っているしほんのちょっとした拍子に俺をころしてしまうかも知れない。救われないものはなんだろうか?理想すら述べるに足らない私の頭ではものが並行してはすすまない。生きることの意味づけがどうのこうの。言い訳か?現実はいつもつらい。比較対象は何だったか?「つらい」が漠然的では示しがつかない。子どもでいつづけることはなく僕の絶対恐怖空間は意識され、その力を増す。鋼鉄の肌にやがては四肢の自由すら奪われる。自尊心を傷つけないようにして人の自尊心をむやみに乱暴し、それによって間接的に傷つく自尊心。何か意味のない作業だ。吐き気がする。実際する。とてもとてもひどいひどいひどい。
  1. 2005/05/17(火) 02:32:03|
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ライトノベル批判

という特集が「トリップ」という季刊誌で行われていました.「ポストモダン」という言葉はよく聞くがどういう立場かあんましわからない.しかし「ポストライトノベル」というのはつまり言論規制的な立場であるかもしれませんが,優生論のような「文学における選択的なサルベージ行為」とでも言っておいてよいものでしょう.筒井康隆というSF作家が,『着想の技術』という本の中で,「教授とか作家の頭の中にあることを,大衆がきちんと理解できるようにメディアに出て解説しなさい,という本来必要のない説明責任的なものが望まれる現在的状況」について語っております.また,「本を読むこと」はそれだけで評価されやすいが,実際「本=教養」という図式を立てるのはあまりにも不用意だということも言っております.たしかに私も先のポップ考ではありませんが,それには同意するところであり,本の序列化という危険な試みも時代的にアリなんではないかと思うわけです.インターネットにおける情報には「クズ情報」とか言う単語が割りと簡単に付けられたりしているわけですが,新しいメディアだから慎重になる,という視点だけではなく,社会的な影響力も鑑みて,歴史の古いメディアの現在的意味について再び考えられるべき時は来ていると思うわけでした.
  1. 2005/05/17(火) 02:11:21|
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ポップについて

ポップって何だ?流行ってること.多数派.ウケること.一般的なモノ.正当派.つまらないもの.かっこわるいモノ.要するに人と同じ...色んな捉え方がありますが.「個性」偏重社会の現代において,ポップは現代ヤング的言論上あまり好ましくないものであると思います.音楽におけるインディーズはもはやメジャーと同じくらい有名だったりある世代にはメジャー以上にウケたりしているが,それでいいのか?つまり「個性的である」という商品価値としてもはやポップ以外の何者でも無いモノに「ポップ」とは違う名前をつけて売ろうという魂胆ではないのか?映画においても単館シネマというのが長いこと流行っております.何が何だかわからん奇っ怪な映画というのは内容よりもインパクトという時代のようで,昔フランス人が映画の可能性を追求していたころの斬新さはないんじゃないだろうか?つまり言葉で説明できる映画でないといけないというのはやはり商業的価値優先という論理の中により顕著に表れてきているのではないでしょうか?もともと「映画」というのは「文字」とは違うメディアであり,わざわざ後から文字化されないでもいいんじゃないでしょうか?最近ハヤリの小説から映画化,映画から漫画化などの異なるメディア間の越境という商業的意図もそれを助長していると言えるでしょう.比較対象として,「現代美術」だって説明が欲しいが,あれはもう独自の世界とマーケットを確立した安心感の上で,一つのニューメディアとしてまかり通っているのです.映画はその形式上,商業的要素と大衆娯楽的要素の強い存在となり得たもので,それ故に逆にニューメディアとしての可能性を失いつつあるのでしょう.映画が映画としての可能性を探られる,という時代の善き風潮を大衆文化の中において取り戻すべきだと思います.
このように「ポップ」は,要するに画一化,同化作用であり,現在の日本人の生き方一般を表す言葉として捉えられるかもしれません.まぁ逆に言えばポップなんてラベルは存在しないんですね.ポップという一時的な入れ物に過ぎないというわけで...そして僕はポップ嫌いでありたい.それはつまり使い古された感覚,そして落ち着く音や視覚情報を捨て去り,吐き気と心拍の高まりをもって他人と通じない本来の人間存在を取り戻すことでもあります.人間が個別の理性を持って存在するのは「最善」よりも「最適」が求められるような(むしろそれしか求めようのない)社会の中でやはり独りであることを確認するためであり,こんなことを言うだけで「病気なんじゃないのか?」と思われてしまうような同化作用に抗う術なのではないだろうか?独りを求めることが反社会的であり異化作用であるとすれば,どのような方法論を持って語られるのでしょうか.
  1. 2005/05/17(火) 01:44:39|
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おいら

13日は年上のお姉さんと一緒にご飯を食べました.かなりグラグラと俺の心は不安定の様子を見せています.こんな話をしましょう.高校の時俺は陸上部でした.陸上部というのは「一日休むと取り戻すのに三日練習しなければならない」という(実際俺のようなレベルではそんなことはなかったけどね)のが常識としてあります.だから旅行しても,雨が降っても,雪が降っても,走らなければならないのです.で修学旅行とか遠征とかでも長距離メンバは知らない街をひた走ります.俺は知らない街でもとりあえず自分のカンを信じてしかもあまりくねくね曲がらずに一度曲がったらしばらくまっすぐに進むという性質がありました.俺は恋に関してもそうなんです.「この人だ!」と思ったらかなりの視野狭窄ぶりで24時間その人のことを考えます.そこにはあまり深い思慮もこだわりもなく,タイミングと優しさと好みがあるだけなのです.障害物がない限りかなり反省なしに前へ前へとひたすら進みます.そして障害物があったら世界の終わりのように悲しむのです.まさに一喜一憂という感じ.恋というのは,つらい...本当に...誰か,俺に答えをおくれ.恋に勝てる男になりたいのさ.
  1. 2005/05/15(日) 01:33:31|
  2. 悲しいときー
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13日の金曜日

ジェイソ~ン!っていう映画があったよね.かつて映画好きだった私はアメリカのホラー映画をまとめて見た時期があって,(ハリウッドアクション映画をまとめて見た時はまじウンザリだったけど)そのときにジェイソンのパート1を見たんですが,いやぁかなり面白いです.それまでは怖さというのは技術に比例して怖くなるもんかなと考えていたんですが,世の中にはすげぇ監督もいるもんだと感心したのを覚えております.ちなみに1ではなんとホッケーマスクはおろかジェイソンは回想シーンくらいしか出てきません.ふふふ,犯人は見てのお楽しみ..
さて,そのジェイソンが現れるのが13日の金曜日,作中ではジェイソン少年がクリスタル・レイクっていう湖に沈められて溺れ死んだ日なんですが,この日,なんとなく不吉だ~,とか言いますが,何の日か知っていますか?ふふふ,みんな知らんだろう!ということで不肖この猿,お調べ致してさふろう.確かにアメリカでは特に13階のない建物とかがありますが,この「13」という数字と金曜日には色んな物語があるようです.
まずは僕たちのとーちゃんかーちゃん,始まりの二人であるアダムとイヴ,この二人も関係しています.彼らは楽園に居り,それはもう何の苦しみもなく(アダムは神様に肋骨折られたりしたけどね,,)暮らしておりました.しかしある日そこにやってきた一匹の蛇.イヴに「これ食ってみそ」とリンゴの実を食べさせます.それは神様から食べてはいかんと言われていた知恵の実で,しかしイヴはそれを食べてしまうのです.知恵をつけてしまった二人は自分たちが裸でいることに気づき,恥ずかしくて腰に草を巻いたりしているところに怒り心頭の神が現れます.そうして楽園をおん出されるわけですが,この蛇に誘惑されたイヴが,アダムにリンゴを食わせた日が13日の金曜日なのです.ちなみに楽園追放(下のはマサッチオの絵ですが)で彼らが腰に草を巻いてるのは知恵をつけてしっまたという現れなんです.
お次はノアさん,これは何か旧約聖書のめんどくさい系譜の中にいるおじさんです.神様は地上で繰り広げられるシュミレーションゲームで「ありり,間違えちった.」と言ってリセットボタンを押しちゃう訳なんですが,その前に今までの記録を取っておこうと地球上に住む動物やらなんやらを一種類ずつつがいにしてそのノアっていうおじさんに作らせたとてつもなく巨大な箱形(らしい)の船に乗せます.そうして地球をものすごい雨で水浸しにしてしまうわけなんですが,その日も13日の金曜日らしいです.ちなみに聖書に書いてある雨の量と地球上の面積とを計算して,水かさはどのくらい地表を覆い,箱船はどこに泊まったのかということを研究する人もいるらしく,それはエベレストのてっぺんだったとか言う話だから半端内勢いの雨だったと言うことですね.
これはみんなよく知っているだろうけど最後の晩餐,そこに居合わせた弟子が12人,それにキリストを合わせれば13人というわけです.曜日は知らんけどたぶん金曜日なんでしょうな.
そして,バベルの塔に神の怒りが落ちてきて人々の言葉がばらばらになったという系統言語学者泣かせのこの事件も13日の金曜日だったというわけです.
ううむ,つまりはキリスト教の文化の影響であるわけですが,日本人でもなんとなく13日の金曜日って不吉な感じしますよね.まぁ「不吉だ~,不吉だ~」と思っていると人は本当に不吉なことに不自然な連関を感じやすくなるということではありませんかね.迷信なんかと一緒でね.因果関係は証明できないけどなぜか起こるというね.結果が先にあって,後付の理由としての迷信.またそこから心理的作用としての迷信の強化,という感じですか...

キリスト教つながりで,「オーメン」っていう映画.ダミアン少年という頭に獣の数字666を持つ少年が悪魔の力を使って人を殺していくという,これまたホラー映画でシリーズ化されているものです.ここに出てくる「666」というパチンコ屋に行きゃあ逆の意味を持って見られるような数字は,獣の数字といって,ヨハネの黙示録という新約聖書の最後にある予言的な意味を持つといわれる部分で,天使と戦う獣の持つ数字として出てきたものだったような気がします.最近留学生と見た怖い映画でもこの「666」を題材にした正直意味不明な映画がありました.それはあるコンビニで買い物した人が次々と死んでいくという映画で,買い物合計額とかおつりに「666」とか「999」が出たら死ぬっていうまぁとってもつまらない種類の映画なんですが,外国人にも通用する映画なのが一緒に見ていた彼らの反応から伝わってきて,そこは楽しかったです.

そうしてこの長い前置きの後に俺が何を言いたいのかと言えば,今日13日の金曜日に猿はデートに行ってくるのであるからそこんとこよろしく,神様,ということなのさ.ひょっひょっひょ.20050513113314.jpg

  1. 2005/05/13(金) 11:16:04|
  2. こんな感情
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いろんな友達

俺には色んな友達がいる.年とか国籍とか職業とか,まじバラエティに富んだ友達がいる.たしかに全員が全員超フレンドリーというわけにはいかないが..その中でも一,二年と同じサークルでやった奴らは特に仲がよい.基本的に人は苦手で心は常に頑丈な扉の中にしまい込んでる俺でも本当に近い(心理的な距離がね)奴らといると和む.まぁKなんかはなんも気にしないで付き合えるお馬鹿代表だし,ろん♪を始め女性たちはほとんどサシでドライブ行けるくらいの感じ.海苔男はいつも額に海苔を貼り付けている海くさいエセ法学ヤロウだけれども悪いヤツではない,ぎりぎり.エロいがね.そしてヤクザ兼駄目な大学生とか,キレキレ野郎ズやら,学科が同じな田舎の巨人やらなんか色々いて,そいつ等といると楽しい.俺は疲れない.まぁそんなことを書きたくなったんだよ.急に.
だってもう書くことねぇんだもん.ブログ飽きちったぁ.おやすみ.
PS:プレイステーション
今度みんな海に行こうぜ.もちろん俺の運転でな!
  1. 2005/05/13(金) 00:37:47|
  2. 明日のために
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昨日親知らずを抜いた.しかもなんとなく思いつきで抜いた.
始まりは午前中,高田馬場に行っていた猿は大勝軒系ラーメン七○神で650円で腹10部食えちゃう大盛りラーメン(ぜんぜんうまくない)を食いながら「あ,親知らず抜こう」と,ふと,決断に至るような比較的強い衝動を感じた.そして店を出た私は別の用事も兼ねて自分の最寄り駅まで帰った.しかしさすがにそこは「思いたったら」に厳しい社会の歯医者さんたちは「ウチは3時までやらないからね,そこんとこよろしく」という感じで猿を冷たくあしらったわけだ.しかしそんなことにめげない猿は午後診察15分前に電話をかけ「急いどるんだ.午後1番でやってくれんといかんよ.」的な自分勝手きわまりない発言で歯医者を診察開始10分前に開けさせた.そうして歯医者にたどり着いてみたならば,なななんと!受付の女性が求愛したくなるほど美しい,また笑顔が天使のような女性ではないか!?もしあの瞬間俺が孔雀だったら,きっと羽をもうこれでもかとばかりに拡げてみせ,鳩だったら胸をふくらましてとっとことっとこ後を追い,牛だったら他のオスが寄らんように頭ごっつんこさせ戦って,尾崎豊なら「アイラ~ヴュ~♪」と言っちゃうような衝動がつま先から頭のてっぺんを貫いて眼はチカチカ頭クラクラ...ともう10分前も親知らずも何もかも忘れ,君を見てるだけで僕は幸せさという感じだったけれど,まぁ,とにかく急いでると言ってしまったんで急いで診察室に通された.そうしたらなんとあの受付の女性が俺の担当みたいな感じで手伝ってくれるではないですかぁ!!!やったぜ!生きてて良かったぜ!!と動物的短絡さを露わにし,しかし虫歯だらけの口の中を見られることに,時間よ戻れ,少年吉村に「未来の嫁さんのためにきちんと歯をみがけよ,少年!」と言わねば!という感じでした.
そうして長い前置きを経て本題ですが,抜きましたとも,親知らず.とりあえず右上だけね.まず麻酔をチューと刺されまして,次に何か「ゴォリゴォリ」という鈍い音と振動が続き,先生が「押しますよ~」とか言って手プルプルさせながら俺の親知らずを親のカタキのように押しておられました.でも俺の親知らずなかなか根が深いしっかりもんだったらしく,かなり長いこと奮闘した後,「ボギィリ!」という横の患者さんを不安にさせるような効果音をつけて俺の奥歯君はその短い生涯を終えたのでした.なので今僕の右上親知らずはありません.しかもなかなか快感だったしあの人綺麗だから今度は逆を抜いてもらうつもりです...
  1. 2005/05/12(木) 10:56:36|
  2. こんな感情
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アジアシティ

ううむ,きっとこのブログに書かれた年上女性への猿の想いが気になっている人は少なくないだろう...ここらで正直に明かしておくと,俺には恋の予感は実はあんまりないのだ.それは自分が恋をするに足る人間ではないということとか,向こうは大人であり子供である俺が気持ちをわずらわせる隙も暇もないのだ,ということが原因であろう.ちなみにバイト先にだって可愛い子はいっぱいおる.しかしいかんせん俺の手には今持ち物が多すぎて「もう持てましぇん」という感じなのだ.だからそう,麒麟淡麗とかスーパーブルーとか,極生とか,せいぜいそんなものをもつぐらいしかできんのです.
そしてもう一つのトピックは6月の頭にタイに行きたいというそんなダジャレのようなトピックです.実は今朝新聞に上戸彩が居りまして,JTBで今海外旅行が安い!みたいなキャンペーンを紹介しておったのじゃ.それで,「行くかぁ,チャオプラヤ川」みたいな意気込みで友人Kを誘い夕方に旅行会社でバンコク四日間39800円のフリーツアーに申し込んだのでございやす.ノープラン,思い立ったが吉日生活もここまで来ると大したもんだ,と自分をほめてやりたくなりましたが,さすがにKは迷いをあらわにして,夜には「おいらやっぱいち抜けたするかも」みたいなことを言ってきやがったんですわ.ううむ.どうしよう,という話でした.来たい人は連絡してください.
明日も早起き.俺は寝ます.
  1. 2005/05/11(水) 01:36:08|
  2. 愛のために
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それでも夜は更け

なんてかっこいいタイトルで登場してみました今日の猿は朝早起きをしたことと一日お外にいたことで疲れがたまっています.ううん,大人って難しいなぁ.なんか「自分」ていうのができてくるとその分「他人」ていうのは受け入れられなくなるんだろうなぁ,とそんなことを書いている自分もしかり...柔軟でいることは何よりも大切だなぁ,と思う.自分は何を基準に人を見分けているのか?感覚的なものでもあるだろうからきちんと説明はできないけれど,とっても格好良い男の人とは仲良くできなかったり(ごめんよ男猿友達の原人ども)学歴のある人に引け目を感じたり,逆に無い人を軽視してみたり...やっぱり少なからずあると思う.しやし人を否定することは基本的に俺には無い.心に余裕がある限り全部受け入れちゃったりする...う~ん,「無い」というと語弊がありますが,ほとんどない.そんな彼,彼女にはあまり進んで関わりを持たないかもしれないけれど,完全に否定できないのは一応基準として自分があるからね.自信のなさもこの点では江口猿の美点になると思うわけよ.しかし,とても人の悪い点を断定的に(つまり自分の意見をあたかも普遍的真理かのように豪語し,誰かの存在を全否定する)言い切り,距離を取るのではなく,口撃し,排除しようとするその態度に俺は悲しさを覚える.怒りであるうちはその人が広い視野を持ってくれるといいな,と思ったりするのだが,説得を試みても石のように固まってしまった彼,または彼女を見るととても俺は悲しくなる.彼らの生き方を変えるだけの力は今の猿にはない.いや,変えるべきだ,という前提で話している自分の考えも自信を持って語れる強い証拠を持つわけではない.ほっておけば良いという生き方もあるだろうし,俺も以前よりだいぶ関わらないで生きることに慣れはしたと思う.いかんせん俺の「はっきりした強い主張を持たない」という態度は説得力を持たず,「目立たない」日本人教育の産物という具合にしか人の目に映らないかもしれない.そういう意味で柔軟と中途半端は同一なのかもしれない.つまり主観的判断に任されるレベルで俺は自分のありかたにある自信を持っているというわけだ.そうした上で言わせてもらう.天は人の上に人を作らず,また人の下に人を作らず...俺の小さな狭い心よ,それを信じて生きてくれ.物事の価値と真理は君の中にある.
ああ,俺自分のこと美しく書きすぎた.ごめん,いっぱい訂正したいけどもう眠いから寝るわ.
  1. 2005/05/10(火) 00:09:52|
  2. 明日のために
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the world is mine

いやぁ,何か電話しちゃったぁ.例の女性と.15分くらいだけどとっても落ち着くあの声を聞いて,しかもバイトあがってすぐで気分昂揚気味のお猿さんはとってもはしゃいでしまいました.まるでおもちゃ売り場でシンバルをバッシンバッシンやっちゃう模倣品のサルのようにはしゃいで,しかしかつ雄弁に会話をしてしまいました.心が温まる,いや,熱くなるという方が正しいのかこの感覚はまさか,まさか,発情期?ではなく恋!?なのか!?恋なのか!?恋なんでせうかぁ~!?うううじたばたごろごろ,えへへ.にやり.the world is mine.あああ,俺はかっこわるいけれど未来はとっても明るいぞ!生きててよかった.人間で良かった.他人がいて自分がいる,それで良かったぁ!
  1. 2005/05/09(月) 00:41:41|
  2. 愛のために
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アイアイ

気分盛り下がる昨日の報告.消したいけれど消さないよ.なぜならバーチャルはいかんせん俺をごまかしてしまうから.できるだけ実人生的法則に則っていきたいじゃん.気分だけでも.実社会が怖くてこんなところにいる自分を棚に上げてでも.この猿のブログのような非生産的かつ自己満足ブログは意味が薄いよ.やっぱり人の目を見て話すのは大切だね.がっちゃん誰だ?ありがとよ.とっても一方的に言葉を投げてるブログっていうのはああいうレスがないとまったくの自己完結だよね.普通のコミュニケーションとのギャップがひどくて人が嫌いになりそう.ていうか苦手にね.最近俺が俺である瞬間を感じないんだけど,それは猿が若年性アルツハイマーの感があるから覚えられないだけかなぁ.いや,違うと思う.きっと猿は「吉村悠」としてあるべきアイデンティティを猿に投影して仮想の世界で「吉村悠」の役割を演じさせているのではないかな.それは恐らく現実世界が窮屈に感じられた時の代償作用であり,こうなったらいかんせん「エースコンバット3」の世界だな.人間の身体能力は社会の機械化による利便性に取って代わられるようになり人々はコンピューターの中に自分を移植することに成功するんだよ.そこに心は存在するの?と,高校生時分の猿は思いながら敵の戦闘機をズバビュビューンって打ち落としてクリアしてずっとほったらかしのゲームなんだけど.いやしかし心というのはコンピュータの中でも存在させられると考えるべきなんかもしれないね.つまりはプログラムとしてね.今自分がつかんでいる自己同一性と言われるものを仮想空間にあるキャラクタとして生み出すことがそうではないですか.完全な人間の移植,プログラム化というのは不可能というよりもその必要性を持たないのではないだろうか.それよりももう少し単純で理解可能な数学的法則に則った仮想社会をコンピューター内に作ろうという作業で事足りるんじゃないだろうか.まぁ俺の場合,今の段階でそこから今の現実の自分に対するフィードバックをし,現実の自己が仮想現実内の自己に遅れをとって見放され崩壊していく,という想像が頭の中に浮かんでくるわけです.パソコンが身近になりネットの世界と行き来することがそれにどう関係するか?それは今まで頭の中でだけ描いていた仮想現実は,それに用いられる情報処理能力が小さかったために現実の自己にあまり影響も与えないまま(例えば仮面ライダーにあこがれて敵を頭の中でやっつけて完結という程度)で済んでいたわけです.しかし,これが明らかな自己の持つ領域にない他者が存在する仮想現実というネット世界では,かなりのリアリティを持って自己へ働きかけてくるということですよね.ううん.
あ,バイトが始まる.行こう.
  1. 2005/05/08(日) 13:43:29|
  2. 愛のために
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過去の産物8

今、生きるということがどういうことか
どのような意味で捉えられているのか
今日も酒を飲んだ
溺れているという感覚
きっと溺れている人は死に対して希望を抱くのであろう
「溺れている今」から抜け出すことが望まれる
しかし、「溺れる」というのは比喩表現であり、その救いすら望めません
溺れること~現実に対して怠惰になり幼稚を極め表面的な取り組みにのみ向かう
満足が得られないのは消費の仕組みと同じで自らを拡大することで存続し、意味を持たせるから
つまり意味はない。意味など無い
矛盾なのだ。早く気づこう。君たちは救える人を救ってくれ。それが俺の救いだ。
いや、「僕」でしょうか。未熟なモノが謙遜の意味を込めて使う一人称
  1. 2005/05/08(日) 01:58:31|
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猿の代走左遷 the MOVIE

映画見たーい!見たーい!見たーい!うおお,見たい,,,(泣)そう,私はただいまとっても映画が見たい.こんな曇りででも雨はぎりぎり降っていなくて,お金も一本見れるぴったしくらいあって,という絶好の映画見るタイミングに私は予定が詰まってる(TT)なんてぇことだい!うわぁん,しくしく,ぐっすんぷりぷりみゃーん.もうこうなったら世界全て敵に回しても映画を見る!!!...ことはない.それは怖い.しがらみは怖い.後に尾を引くからね~.う~む,あの頃は良かったなぁ,高校生の時.こんな天気でお金があったら迷わず一限と二限はバイオレンス&ラブコメ,もしくはヒューマンの授業に変更だったのになぁ...嗚呼,懐かしき日々よ...今は無きあのぼろい映画館よう.可愛い彼女もいたさ,返せ返せ!俺にあの素晴らしい時をもう一度!カムバーーーック!!!ちゃりんこニケツで見た花火ー!さと○ちゃーん!し○さーん!足の速かったボーズの俺ー!
...おうっと,横道それザルが出てきたね,いかんいかん.うんうん,映画はいいよねぇ.あの暗い空間,独りで入って周りは知らん人ばっかり,だけどみんなが同じ方向向いて面白くてもつまんなくても同じ方向向いて,みんなの意識のベクトルがスクリーンに向かっていくあの空間.たまに女の子を連れて来る男の意識のベクトル横向きっぱなしだったりしてね.ポップコーンは俺は嫌いさ!うるせーしくせーし!あれはゴジラとかエイリアンがギャースギャース言ってるときに食うべきモノであって,少年が「たすけてくだすぁ~い!」とか叫んでて隣の女の子なんかがしくしくきちゃってるときにポリポリぷ~ん,とやったんじゃぁ,気が散って「このヤロウおもてに出やがれ!猿の名によって成敗いたす!」となっちゃうからね.ううむ...
最近見たいのは「エターナルサンシャイン」!こってこてのラヴストーリーというヤツだけど「さよならのかわりに記憶を消した」!なんつってね,うおお,消したい記憶ばっかりだえ!俺のじんせいそんなんばっか~♪みたいなね.まぁこうしんみりしたいんさ.昔のこととか思い出してさ~.ううう,俺の彼女は可愛い子多いんだぜぇ,,,フラれてばっかだけどね.うんうん.もう鵠沼海岸には行けない....え~ん(←マジ泣き)
とかなんとか言ってる間にお天気は回復し始めました.俺もちょっと元気出てきたし今日は課題あるしがむばろー!俺がむばろー!
  1. 2005/05/07(土) 11:25:27|
  2. こんな感情
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過去の産物7

11/26

迷いがあるから旅に出るのではなく失うモノがあるから旅に出る
そして旅が無くては人生はない
しかし旅自体が目的となってしまえばそれは冒険家のそれにすぎない。
大切なモノを探すのだ
それはお金とか地位ではなく
純粋なものだ。
そして失うための旅だ。
全てを整理して出てはならない。
何も持たずに何も片づけずに誰にも告げずに
私に属するのが私だけであることは承知なのだ
それを裏切ってはならない。
それを失ってはならない。
絶望するから自死できるのではなく残すモノが自死させるのと同じだ。
旅は自死ではないがその点で自死は旅に含まれよう。
しかしそのとき自分は忘れてはならない。自分を持たぬものは不十分だ。
旅は生だ、煩悶だ。
つまり今、ここ、これら、を否定するのだ。
極端に単純なやり方で。
極端に純粋なやり方で。
全てを失ったのちの旅は老いて死にゆくもののそれである。
若きものこそ権利を持つのだ。
「そこにいてはならないそこはあなたのばしょではない」
全てと何の断絶も持たず、今やそれが不変となるそのときに人生における旅は成立する。
手に入れろ、大切なものを人を自分にとっての愛を。
そうして失うことが大切だ。自分の意志で。
  1. 2005/05/06(金) 12:33:42|
  2. 過去の産物
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休校!キューコウ!

休校に続く休校!昼のゼミも休校,夜の学校も休校.一日予定が無くなりました~.うれしーうれしー!本でも読もうかな.ふぇふぇふぇ.ということでこの時間帯にまだ髪ぼさぼさ寝ぐせヘアーで庭に出てみると今日のお天気はくもり.少し寒かった.昼はかーちゃんが作ってくれた冷麺.寒いよ,かーちゃん.そして庭に咲いた雑草たちに囲まれながらしばし「関係」を求める自分について考えてみた.俺はとっても人との関係を求めている.恋人とか友達とかバイト仲間とかなんでもいいんだけどとりあえずどんな形であっても関係,関係.それがないと寂しいじゃん,みたいなね.いや,正確に言えば,よりお互い向き合っていると言える関係.満員電車でやれ誰が靴踏んだとか誰が寄っかかって来たとかそんなヤッツケ合い的関係じゃなく.その関係があって自分が幸せになるような.しかぁし!それを求めるには長く苦労のいばらの道を経て行かねばならない.まったく違う人間が二人いるんだからそこには少なからず衝突があり,ましてやより多くの人と関係を作るためにはその衝突をたくさん経験していかにゃあならん.とても嫌になってへこたれて.そんで「幸福論的所産物および...」みたいな日記を書く.旅について書いたのがあって,人生は旅でなくちゃならん!ならんならん!みたいなことを顔真っ赤にしてムキになって叫んでるようなヤツなんだけど,いやしかし理想はやっぱり旅だなぁ,と今改めて思う.それはその猿の求めている関係までの道のりに疲れたからという消極的な動機からだけじゃなくて,つまりその「適度に旅」っていう感じの人生って頭カチコチにならないためには必要なんじゃないかな,とね.自分が今信じているモノが,その人が安全に暮らすために用意した社会の中では自明のモノであり,非難されたりしないみたいなね.楽しいかもしれんし,あんまり問題なく,しかもけっこう人に迷惑かけないで生きていけるだろうね.しかしそんな状況は打破してしかりだと俺は思うんです.そして飛び出してみないと拡がらない視野ってもんがあるんじゃなかろうか,とね.そのための旅ですよ.できれば逃げるためではない方がよい.それは思考における旅みたいなモノも含めてね.そっちの方はまぁけっこう自分勝手に進められてしまうかもしれないけれど,ソフィーの世界とかそんなん読んでても,あれも旅だなぁ,というわけで.しかも色んな小説の主人公は旅するでしょ...つまり知識欲と旅っていうのは似ていると思うんですよ.準備段階で常に思考は外に開けている.そうしてどんどん吸収するからさらに難しい問題に取り組める.学問におけるゴールがないように,旅という,終着点のないものが「人生」なんではないだろうか.誰か他人との関係というのは,常に自分に有利に働くもんじゃないし,それでこそ逆に「俺は安心とか安定とか求めているわけじゃねえさ,かかってきやがれ!」ぐらいの心持ちでいられるんじゃないでしょうか?
ちなみに俺はすぐ「安定」「安心」が欲しいと言ってしまう人間なんでこんな強がり的発言を敢えてしていますが,こんなこととうの昔に承知済みで,とてもしっかり生きている人はいっぱいいっぱいいます.そんなわけでそこんとこは「まぁ,猿はまだ小猿だから好き勝手言わせといてやれ」ぐらいに受け止めておいてください.
ふ~..いやぁ髪ぼさぼさのまま人生語ってしまったぜ.
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  1. 2005/05/06(金) 12:25:44|
  2. うれしかったこと
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猿よ学べ,そして人へ...

おはようございます.連休ももう終わりに近づいて,俺は今日学校がある,,,(TT)
今朝は「猿がそもそもなんでこのブログを始めようと思ったか」について,ちとひとことぐらい.
そう,これには結構ある一つの明らかなきっかけがありまして,あれは連休といっても後半まで予定の続かない猿が暇つぶしにパソコンをいじっているときでした.大天使という人(?)が作っているブログとやらに遭遇しまして.そこで「友達の卒論を読んで考えたこと」みたいなタイトルの記事があったんですよ.そこには自殺に関して触れてある文章があり,早速ちょい意味不明系のレスをしたところなんかうずうずして自分もカキターイ!みんなとハナシターイ!ってなっちゃって動物的自制心のなさでこのブログを開始してしまったという次第でございやす.というわけで始まりましたので,この中に展開される様々な日本語の連なりは言わば「猿学」!多くは猿が外国文学から触発されてこれもまた衝動的に描いた自分には読める心の地図みたいなシロモノなんでおつきあい頂くのは苦しい時もあるかもしれない.そんなときは意味など考えず,むしろ読み飛ばしても構わないのでご辛抱いただけるとうれしいです.

そして昨日のバイト関連でもう一つ.俺日本語の勉強してるのに敬語がおかしいみたいで客に2回も笑われた...しかも昨日はキッチンだからほとんどホールに出ていないのに2回,,,あうち
  1. 2005/05/06(金) 09:51:04|
  2. 明日のために
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ビールのある時間

そう,まさにこの瞬間,夜は12時くらい,この,新宿から20分の住宅地が静まりかえる頃,俺はビールを持ってパソコンの前にいます.とても気持ちの良い時間.大抵バイトとか学校帰りで人をいっぱい詰め込んだ電車に乗って駅から家まで歩いて足が重くって体もくたくたで,あとは「よしビール飲んで寝るぞー!」というこの時間.ビールといっても実はあの炭酸お酒の安い奴ではありますが,そんなのじぇんじぇん関係ありましぇん.近頃は業界の努力で味の良い品もけっこうあり,「よきかな」という感じ.当然頭もぼけぼけになりますが,猿はぼけぼけよろしくの基本姿勢なんでそこんとこよろしく.バイトではキッチンに入っているのです,最近は.今日もガンガン覚えてきました.しかし冷凍してあるパックとかビビッてやってバッて中身出してチンとかジュジュジュとかやるだけなんでやす.うまいけどね.HUBっていう店5時から7時はカクテル安いんでヨロシク!しかもHUBエールっていうビールがマジ極上!超ウマ!というCMでした~.
帰り道では誰かが「忘れないで,君のことを僕は必要としていて,同じように,それ以上に想っている人もいる.あなどらないで,僕らにはまだやれることがある」なぁんて言っておったね.うんうん.こやつらは少し他人にウケる言葉を選びすぎな感はあるけれどもなかなか納得(ポジティブ)なことをずばり言うよね.昔は「車の中で隠れてキスをしよう」とかこっ恥ずかしいことしか言わなかったのですがね.
ううむ,頭がぼや~んとしてて今日はもう何も言うことはございません.ようし寝るぜ!容赦なく寝てやるぜ!明日のゼミも何のその!禁断の園!なんちゃって...
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  1. 2005/05/06(金) 00:55:30|
  2. 明日のために
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過去の産物6

●故郷に帰った
/故郷/という響き。
本当の故郷とは?
生きるうちに帰る場所があったか?
家族は捨てねばならない。家族は捨てろ。
無償の愛なんて私を殺そうとするどんな殺人者よりも恐ろしい
意味を知らねばニンゲンとしての私はもう死んだ。
自立は社会の要求だったか?
いや、生の要求だ。生きようとする意志であり「老い」だ。
幼い子どもは良い
その愛を存分に発揮できるのだから。
「おかえり」
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  1. 2005/05/05(木) 11:40:58|
  2. 過去の産物
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無罪モラトリアム

え~,歌舞伎町の女王のあの人の昔のアルバムです.あ,おはようございます,猿です.あ~,あれ最近聞いてないけれどまた聞きたいなぁ...どこいったっけなぁ...ま,いいや,え?モラトリアム?ってなに?いや,知らんよ.知らんよねぇ,君?ははは...
え~,もとは経済学用語の支払い猶予期間のことです.しかしNEETやらフリーターなどの文脈の中で,社会に出るまでの半人前期間(準備期間?)としてよく耳にする言葉ですねぇ.おそらくまさにここ!今!我らのいる位置!ちなみに今でこそこのモラトリアム期間の延長ということが若者に望まれる傾向にあると聞きますが,昔(っていつのことだろう?)は半人前期間ということで早く脱するべき苦痛の期間であったとどこかで読みました.ラジオの放送大学で「生涯学習」ってテーマでおっちゃんが話していました.発達という言葉がうんだらかんだらで,つまり現在の生涯学習の文脈では,発達は一生涯続くと考えられ,「老い」というのは肯定的に受け止められるべき時代となっているのだ,という風に何か説明しておりました.僕は箱根の山をノンブレーキで攻めながら聞いていたわけですが,(あ,ちなみに猿@免許所持です)思いました.「自分ごまかしてるみたいで少し悲しいな」みたいなね.だって人間というのは会社の中にきっちり人生の中でイケテる時期を捧げる訳ですよ.そうして「ふー,やっと一息つけるぜ」といった頃には胃に腫瘍とか肺に腫瘍とか尿路結石とか歩けませんとか,そんな重石を体に背負っているわけですよ,そりゃみんながみんなそうではないし医療も進んでいますがね.しかも人口比率的にもそんな人たちメインの時代がやってくる.いや,もうやってきている.そんなときに日本国民の注目はやっぱり「生涯学習」なんですよ.そこに込められたメッセージは「若いうちは働こう!年とっても今の日本は遊べますよ」みたいな感じ?どうだろう,俺は良心あるいち青年としてそれを否定的にこき下ろすなんてぇことはできません.しかしどうだろう?「補償」のように聞こえてしまう部分もある.ボランティアもはやっている.しかしある人は言いました.「ボランティアというのは実は不可視的な国による労働力の搾取である,また国家動員に導かれやすい国民を生み出す」.僕はそうは思いません,ボランティアは,日本においては少し動機が不明瞭ではありますが,とりあえずすさんだ社会に現れ得る自浄作用ぐらいの説明はできるのだろうと思います.でもどうだろう,汚れちゃったものを残りの人生かけて洗い流して精算して,,,素晴らしいけれど,「人生ねぇ,,,」みたいなね.僕らは一個の人間であり,急に,「悟り」のような超客観的とも言うべき視点を見いだす,つまり外殻的に僕らの世界を支配している視点を得ることは難しい.「マトリクス」みたいなね.もちろんそんなモノがあると仮定してですが...いや,どんなに修行に励んでも無理なのかもしれない.そうしておそらく哲学はネガティブ,生涯学習的補償作用はポジティブだと考えるのです.いや,俺は,少なくとも今の猿はそう考えるのです.
  1. 2005/05/05(木) 11:35:25|
  2. 明日のために
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猿は猿らしく

どうでしょうか...?お猿さんがいかにちっこい脳みそで悩んでいたかわかるでしょう?ちなみにお猿さんの脳内戦争を言語化したもので現存するのはこの「幸福論的所産物および日記殺し一本締め」という2004年10月から2005年1月までの日記的なものぐらいです.それ以外は人に送る手紙という形で書かれたものがいくつかありますが,そちらにも腐ったものがいくつかあります.公開するかは未定.たぶんしない...
また,積極的な発言を猿の住む猿山に向かって投げかけてください.このブログ(?)はそのような場所であります.しかしこれからは「幸福論」というサブタイトルを心の中に設けてやっていきたいのでよろしく.それでは1日目をこんな形で終わらせていただきやす.
  1. 2005/05/04(水) 21:01:22|
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過去の産物5

12月11日
こんにちは、ありがとう、さよなら、また会いましょう。
言葉すらもう湧いてきません。
あのくだらない惰性で、しかも偽りながらもある不快な満足感に満たされている、という状態は、残念ながら私にとってとてもつらい。
考えることをやめてしまう。そこにある笑いの価値が私にはわからない。
形骸的なヨロコビの関係を断ち切って、笑いの価値を取り戻したい。それは一生懸命生きたときに自分の心の隙に生まれる無上の本質的な喜び。
私と社会のつながりがとても一方的で、私は汚染されていく現状に対して覚醒できぬまま生きています。
常に貪欲に学ぶという姿勢の中でより理解へと近づけるかもしれない。保障は無いのです。しかし逃げていては駄目なのです。
フィリピンではなぜあんなに人が生き生きとして見えたのでしょうか。
私は私に向けて言葉を放ち、自分の中の危機に常に警鐘を鳴らし続けます。涙を目に浮かべ内臓の腐臭を誤魔化し切れない。苦労して生きる人の肌のようにしわだらけで黒ずみ硬くなった肌を自分の誇りとし。求めたモノが手に入らないと知りながらなお生き続けることの意味を知れれば。
  1. 2005/05/04(水) 20:42:01|
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過去の産物4

●タナトス
死ぬための理由とは何か?そもそも何か行動が起こる時に全てそれが理由と結びついたか。いや、違う。「反射」のようなものか。それは衝動的なもので脳の働きよりも外的要因よりも自我欲求のなすところのワザか。死ぬことへの欲求とは何であったか?絶望ではなく、いやそれは消極的な意志ではなく積極的な何か。生きること、つまり生命は意識されない消極的なモノに支えられるのだからそれに勝ちうることは難しい。生きることによって私たちが得ているものはこの不便な壁だけだ。皮膚というバリアだ。他人を寄せ付けることはない。
  1. 2005/05/04(水) 20:40:11|
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過去の産物3

● エロスとタナトス
アニミズムから心理学、そしてフロイトへ
今日の俺の問題意識の経路
そして、生への本能的欲求「エロス」と死への欲求「タナトス」へとつづく
またエロスは性的なものでもあり、それはエヴァンゲリオンに描かれるような満たされない生への反動としての死への欲求とそれによって並行的に強められる生、または性的なものへの欲求という関係を見せるもの。じゃあ、俺が求めたものをタナトスと言ったところで答えとなるのか?そんなことはない。理解のための初歩的な概念に過ぎない。しかし俺はタナトスよりも明らかにエロスが優先されるということは望まない。そしてタナトスの拡大は同時に俺の中にあるエロスを強め、性愛を強める傾向にあった。今でも変わらず。それは現象的で具体的な世界において社会的制約(理性・倫理)を受けることによって打ち砕かれ残るのは枯れた生となってしまう。残された意味は「生産すること」であり、それを条件として生きることは肯定されうる。あああ。
  1. 2005/05/04(水) 20:39:13|
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