そのひぐらし

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ポップについて

ポップって何だ?流行ってること.多数派.ウケること.一般的なモノ.正当派.つまらないもの.かっこわるいモノ.要するに人と同じ...色んな捉え方がありますが.「個性」偏重社会の現代において,ポップは現代ヤング的言論上あまり好ましくないものであると思います.音楽におけるインディーズはもはやメジャーと同じくらい有名だったりある世代にはメジャー以上にウケたりしているが,それでいいのか?つまり「個性的である」という商品価値としてもはやポップ以外の何者でも無いモノに「ポップ」とは違う名前をつけて売ろうという魂胆ではないのか?映画においても単館シネマというのが長いこと流行っております.何が何だかわからん奇っ怪な映画というのは内容よりもインパクトという時代のようで,昔フランス人が映画の可能性を追求していたころの斬新さはないんじゃないだろうか?つまり言葉で説明できる映画でないといけないというのはやはり商業的価値優先という論理の中により顕著に表れてきているのではないでしょうか?もともと「映画」というのは「文字」とは違うメディアであり,わざわざ後から文字化されないでもいいんじゃないでしょうか?最近ハヤリの小説から映画化,映画から漫画化などの異なるメディア間の越境という商業的意図もそれを助長していると言えるでしょう.比較対象として,「現代美術」だって説明が欲しいが,あれはもう独自の世界とマーケットを確立した安心感の上で,一つのニューメディアとしてまかり通っているのです.映画はその形式上,商業的要素と大衆娯楽的要素の強い存在となり得たもので,それ故に逆にニューメディアとしての可能性を失いつつあるのでしょう.映画が映画としての可能性を探られる,という時代の善き風潮を大衆文化の中において取り戻すべきだと思います.
このように「ポップ」は,要するに画一化,同化作用であり,現在の日本人の生き方一般を表す言葉として捉えられるかもしれません.まぁ逆に言えばポップなんてラベルは存在しないんですね.ポップという一時的な入れ物に過ぎないというわけで...そして僕はポップ嫌いでありたい.それはつまり使い古された感覚,そして落ち着く音や視覚情報を捨て去り,吐き気と心拍の高まりをもって他人と通じない本来の人間存在を取り戻すことでもあります.人間が個別の理性を持って存在するのは「最善」よりも「最適」が求められるような(むしろそれしか求めようのない)社会の中でやはり独りであることを確認するためであり,こんなことを言うだけで「病気なんじゃないのか?」と思われてしまうような同化作用に抗う術なのではないだろうか?独りを求めることが反社会的であり異化作用であるとすれば,どのような方法論を持って語られるのでしょうか.
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  1. 2005/05/17(火) 01:44:39|
  2. こんな感情
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