そのひぐらし

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過去の産物11

12月18日
主体性についてのある考察として、主体の二重性、生物論的な「種の存続」と「個の生存」に対応する「集団的主体性」「個別的主体性」。(しかし生物論的な紹介の場合、最小単位は「個人」ではなく「細胞の自己意識」にまで分解される)そして現代社会における「疎外」(主体喪失)とは、集団的主体性による個別的主体性へのある力の行使、または吸収が行われるという状況がすでに自然に社会的病理状態を不可視的な、それゆえになお拡大する病理としてしまっている現状。集団的主体性は、資本主義社会におけるその成長過程に見られる絶えまぬ自己拡大化作業の中で個別的主体性に優先され、しかし集団とはある点で「コミュニティ」、「共同体」と言い換えられ、ボランティアなどにおいて見られる集団優先主義もこの性質を持たないとは言い切れないのではないだろうか。概略まで。
吉本隆明『共同幻想論』を読んでみようか。

12月19日
● メモ
浮游する権利、(AERAMook「社会学がわかる」p157「偶有性」)。二重主体が不可視的であるためにその間を浮游する権利、行動の条件、責任。パーソンズの言う「ダブルコンティンジェンシー(二重の条件依存性)」だろうか?二重主体構造の中間やや集団的主体性より?つまり権利者不透明状態での権利はどこにあるのだろうか?日本社会においては憲法によると個別的主体性に属するものであるはずだが、国家という枠組みで誰が重要事を決定しうるのか?「重要事」とはこの場合何か?論理の徹底的な透明化が必要だ。
俺が帰属する集団的主体性に対する意識的な働きかけ。
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  1. 2005/06/09(木) 04:19:38|
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