そのひぐらし

そのひぐらし。日記のようなことを書きます。気に入ったらぜひラブコールをどうぞ。

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温もりよ,こんにちは

フランソワーズ・サガンの「悲しみよ,こんにちは」をまたしてもぺろっと勢いで読んでしまった.内容的にはチープなサスペンスみたいな設定だけれども,あそこまで瑞々しい感情描写を若干18歳のサガンが行い得たことは俺に強い衝撃を与えた.
冒頭の部分がとても自分の気に入った.
「ものうさと甘さとがつきまとって離れないこの見知らぬ感情に,悲しみという重々しいりっぱな名をつけようか,私は迷う.その感情はあまりにも自分のことだけにかまけ,利己主義な感情であり,私はそれをほとんど恥じている.ところが,悲しみはいつも高尚なもののように思われていたのだから.私はこれまで悲しみというものを知らなかった,けれども,ものうさ,悔恨,そして稀には良心の呵責も知っていた.今は,絹のようにいらだたしく,やわらかい何かが私に蔽いかぶさって,私をほかの人たちから離れさせる.」
これは,物語を最後まで読み切ってから振り返ったときに,この作品の中で意図されるモノが読み取れるような言葉なのだが,逆に何の先入観もなくこの言葉を読んだところで,自分たちに重なるところは少なからずあるだろう.
人生において急に意味を持ち出す言葉というものがあり,それはある物語を内包する.僕らの言葉が今あまりにも薄く,使い古された感動しか僕らに与えないのであれば,そこにある物語の不在に気づき,そこにあるべき物語を獲得することこそが大切な作業であると思う.言葉というのは必ずしも単に外部に対して普遍的な理論を形作るための記号ではなく,むしろ内部において自分の物語を心にとどめておく装置のようなものだということに気づかされた.
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  1. 2005/07/21(木) 01:11:50|
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