そのひぐらし

そのひぐらし。日記のようなことを書きます。気に入ったらぜひラブコールをどうぞ。

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魚も泣きうた

あるがままの心で生きられぬ弱さを誰かのせいにして過ごしてる.
知らぬ間に築いてた自分らしさのオリの中でもがいてるなら誰だってそうなんだ....
おうお~~~う.
  1. 2005/09/14(水) 08:06:04|
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君へ

これが悲しみに満ちた言葉ならば何とも傲った言葉かとかんがえなければならない.しかし君に言いたいことは,昔から人たちが考えてきたことと何かもう既にあるものへの満足が君を満たしてくれるか,ということだ.疑うことを知らない君は人を単純だとか複雑だとか言うが,それはきっと違う.社会が正しさの結果なのだとしたら,救われない人が多いから生まれた社会学の端は哲学にある.簡単な人の外側内側の話ではない.君は言葉を放ってみる.なぜかそれが権威を得たように力強く,でも見え透いた弱さで放ってみる.そうして君は知覚することが自己の中に普遍性を持った観念を生み出すこと,それが「経験」と呼ばれるものであり,何の実存性も証明し得ないことに気づかない.「ワレ考える故にワレ在り」すらもはや「ワレワレ考える故にワレあり」という外部の浸食を受け,自由という概念が個人の闘争段階にまで戻らざるを得ない現状で,きっと誰一人として正しくはないことを思わなければならない.デカルトがヒュームによって見直され,ホッブズが資本主義によって駆逐されたのは歴史的に遠い過去のことだが,多くを語っているその歴史を記憶するのは重要なことだ.
現実というのはとても大切なものだ.
正しさの不在ゆえに自己に背く,もしくは自己を確立しえない存在の戯言であったとしても,一瞥もくれないでいるのは残念だ.
どんどん頭が硬くなっていく.苦しいことだけど,「人間とはそんなものだ」と卓越して納得できる歳ではないだろう.
  1. 2005/09/12(月) 00:30:09|
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何か.

誰かを傷つけても何かを手に入れる.
何かを傷つけているということに気づいていたとしても,
何かを手に入れる実感が自分を生かしているような弱い生き物には,
どのような道を選べるのかわからない.
それでも何かを手に入れている.
何かを手に入れているというのは
どういうことなんだろう.
何かこの方向で正しいのかわからない.
この方向
という方向に常に進んでいるのかもわからない.
友人は
「自分」
が大切だと言う.
それもずいぶん前にわかったと思っていたことなのに,
わかった
ということに引き戻ってみれば
わかっていなかった
ような気がしてならない.
不安が襲ってくる
一瞬で消え去るようなたぐいのものが
たぶん今まで生きて半分くらいの時間は
こんな感じだったから.
明日は晴れるといいなと思いながら
雨を予感するのが常です.
  1. 2005/09/11(日) 10:42:20|
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近況

アメリカって日々わくわくして最高
アメリカってはじめてのことがいっぱいで最高
アメリカ人っていっても構えなくなった自分最高
アメリカって知らない人にも簡単に挨拶しちゃって最高
アメリカって食堂でフランスの女の子が横に座るから最高
アメリカって女の子が大胆だから最高
アメリカってハグが当たり前で最高
アメリカって金髪が多くて最高
アメリカってでもオリエンタル美人も多くて最高
アメリカってネパールの子とかが可愛くて最高
アメリカって中国の子とかもアジアつながりで最高
アメリカって意外とフリーの子が少ないけど最高
アメリカって飯がまずいけど最高
アメリカって意外に乾燥してるけど最高
アメリカって寝てばかりいられて最高
アメリカって日本人同士助け合っちゃって簡単に人を好きになる可能性をいっぱいだから最高
アメリカってお金使う機会ないから最高

アメリカってでもそろそろ消化不良...
  1. 2005/09/09(金) 12:17:48|
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i`ve got to

今日は8月22日,14時間のフライトと,その途中何度かの冷や冷やする思いを経て今ミシガンにいる.アパートは思っていたよりかなり良い場所で,きちんとした生活を送れそうな予感もする.ただ,着いた瞬間に寂しさが急に襲ってきて,9ヶ月という期間の長さをはじめて実感したのかもしれない.会えない人が会えない間に変わっていく...だけどそれと同じくらい自分も変われる気がするから少し安心していられる.空港に見送りに来た二人の友達は意外に寂しそうな表情をしていた.「これでいいのだろうか?」そんな質問は常に事後的に心の中に起こるから迷いは消えない.だからこそ今やれることをやろう.今「やれる」と思ったことに手を抜かずに取り組もう.そうして一年経った後に俺は俺であることを捨てるかもしれない.自由な少年はもういないかもしれない.だけどそこにいるのは常に自分であるという事実を持って生きていくのが楽しい気がするのです.
ミシガンはもう冬の気配を感じさせるほどの寒さです.
  1. 2005/08/23(火) 12:00:25|
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「象徴秩序という人間の認識の概念的な総体の話」についてのノート

●ああ,僕は間違っていた.最近の僕は数年前により真実に近い浮遊状態でいた僕とは違い,デカルト時点へと戻り始めていた.しかし,現時点で僕を示す自己同一性とは何か?社会的諸関係の総体とはいったいどう捉えられるものなのか.常に変化を持ち.さらに僕は歴史を記憶することが苦手だ.

●寄らば大樹の陰,というのも「適切さの行為」には成り得ても「正しさの行為」には成り得ない.したらば「正しさの行為」というのは何なのか?お前知っとんのか?とこう聞かれても,それは常に超客観的というべき視点でありまして.僕らが言う正しさという意味において,究極の正しさというのはつかみ得ないというのが,僕らの限界なわけでして.僕らが作る秩序を包摂するモノとしてのカオス.これの存在は明らかなのです.

あ,今日ちひろ達がゆずのコンサート行く日じゃん...
いいなぁ...

●それは交換によって成り立つものであり,交換体系として維持される.

●交換とはコトバ・ヒト・モノに関して行われる.

●ホモ・デメンス〔錯乱のヒト〕
  1. 2005/07/24(日) 20:38:46|
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温もりよ,こんにちは

フランソワーズ・サガンの「悲しみよ,こんにちは」をまたしてもぺろっと勢いで読んでしまった.内容的にはチープなサスペンスみたいな設定だけれども,あそこまで瑞々しい感情描写を若干18歳のサガンが行い得たことは俺に強い衝撃を与えた.
冒頭の部分がとても自分の気に入った.
「ものうさと甘さとがつきまとって離れないこの見知らぬ感情に,悲しみという重々しいりっぱな名をつけようか,私は迷う.その感情はあまりにも自分のことだけにかまけ,利己主義な感情であり,私はそれをほとんど恥じている.ところが,悲しみはいつも高尚なもののように思われていたのだから.私はこれまで悲しみというものを知らなかった,けれども,ものうさ,悔恨,そして稀には良心の呵責も知っていた.今は,絹のようにいらだたしく,やわらかい何かが私に蔽いかぶさって,私をほかの人たちから離れさせる.」
これは,物語を最後まで読み切ってから振り返ったときに,この作品の中で意図されるモノが読み取れるような言葉なのだが,逆に何の先入観もなくこの言葉を読んだところで,自分たちに重なるところは少なからずあるだろう.
人生において急に意味を持ち出す言葉というものがあり,それはある物語を内包する.僕らの言葉が今あまりにも薄く,使い古された感動しか僕らに与えないのであれば,そこにある物語の不在に気づき,そこにあるべき物語を獲得することこそが大切な作業であると思う.言葉というのは必ずしも単に外部に対して普遍的な理論を形作るための記号ではなく,むしろ内部において自分の物語を心にとどめておく装置のようなものだということに気づかされた.
  1. 2005/07/21(木) 01:11:50|
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俺のアメリカでのアドレス

記事はもうありません。あしからず。
  1. 2005/07/15(金) 11:18:00|
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今日東京を去った一人の男について

 今日,品川駅からバスに乗って遠い所へ行ってしまった一人の男がいる.彼とは,人よんで「変態大天使」のJという大学の同級生だ.8時半のバスに乗り11時間も離れた土地へ移りゆく彼は,きっと寂しさも少なくなかったはずだが,最後の一瞬まで彼らしいスタイルを突き通して反社会の模範生としての印象を与え続けてくれた.
 彼との出会いは大学一年生の頃で,俺が,自分で選んだ他人と一緒にいることから「楽しさ」という要素だけを享受していた(もしくはそれ以外気づくことはなかった)頃だった.年齢的には一つ上の彼は,「寂しがりのやまあらし」と形容するのがぴったりだった.トゲに気づいてはいても人と一緒にいないといられない.それは当時あまりにも直情な子供で,トゲに傷つくことを恐れていた俺にとって,気を遣いながらも傍にいたくなる相手だった.それは心地よい関係と言うよりは,避難した先で隣り合った,弱みを共有する共犯者同士的なものだったのかもしれない.
 いや,彼の想い出を語ろう.
 一年生の頃には彼の家によく泊まりに行ったり飲みに行ったりしながら映像編集を教えてもらったりした.彼を思うとき,いつも彼のキッチンに立つ姿が一番に浮かぶ.彼のつくる料理はいつも感動的にうまかった.これは懐かしく輝かしい青春像によって少々の色気を足されてはいるが,本当にバラエティ豊かで,バランスが取れていて,気取らないのにとっても上品な料理たちだった.あの時は,人がいて酒があれば,そこは俺たちの作り上げた手作りの楽園となった.笑いは少々の気持ち悪さを隠しながら,みんなが「青春」という言葉をやけに確認したがった頃だった.勢いは時間が流れるとともに絶対的な空間を成立させることを難しくさせ,感覚よりも思考が優先される時になると,誰しもが色あせた「青春」を見つめていた.
 いやいや,彼の想い出を語ろう.
 ある期間の彼のことを俺はよく知らない.社会学科の俺と国際学科の彼とでは二年生の後期から通うキャンパスが別々になる.そのころ彼は国際学科の友達数人と共同生活を始め,難しい本を読み,勉強もし,俺のはかり知らない新しい関係をどんどん築いていたようだった.そんな彼と俺が再び近い距離で接するようになったのは,わりと最近のことだった.彼は相変わらずの変態キャラを発揮しながら,以前よりも自分を大切にして生きるスタイルを獲得できたようだった.そんな彼が俺に与えた影響は,実は少なくない.広く貪欲に集められた知識,彼の専門分野の話,そういうものが提示される度に,俺は脳をフル稼働する必要があった.昔のように情動と瞬間至高主義の「青春」野郎はそこにはなかったが,それは決して悪い意味ではなかった.少なくとも俺には羨ましく思えるほどに彼は自分をオトナとして受け止めることに成功していた.
 そして会わない時を埋めるように,背後に感じる違和感に目を向けないようにしながら過ごした今日までの時間もまた,俺の彼への理解を進めただろう.しかし今は何故かそれをうまく言語化できない.今は色々な事情から,受け取る側である自分に対する混乱が生じている.少し落ち着いてからいつか彼を思い出したならまた彼について書けばいだろう.今は頭が緩やかに停止しようとすることにうまく説明も与えられない.常に今は今において混乱状態,彼の言葉で言うならば混沌(カオス)にあるのかもしれない.
散文がひどくて申し訳ない.
とにかく色々とありがとう,J君.またいつかどこかで.
  1. 2005/07/13(水) 00:55:27|
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