そのひぐらし

そのひぐらし。日記のようなことを書きます。気に入ったらぜひラブコールをどうぞ。

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晴れました

 晴れました.そして俺は「やるべきこと」とやらに遅ればせながら手をつけようと思う.ただ単純に外国に行って一年過ごすわけではなく,こんな俺でも期待されていることがある.やっぱり努力なしに過ごした時って後で振り返って申し訳なく感じるだろうし,後悔にはもううんざりだからね.海が遠く俺を呼ぶ声が聞こえちゃう今日のような日でも,遊びたいのは我慢の子.そういうのってやっぱりどこかで自分の理想像であったわけで,ワクワクする俺の短所は宣言するだけで軽く満たされてしまうこと...まぁ,でも今回の俺の強い味方は駐禁と週末のコンサート.
 駐禁とはその名の通り「駐車禁止」.おとつい僕の愛車スターレットのサイドミラーについていました.学校の脇の1号線に40分ほど駐めていたのでね.警察に徒歩で行ったら「車で来てください」と言われ危うくレッカー移動されそうだったし,書類書いて「元気出しなさい」と婦警さんの優しい言葉と差し出された15000円の振り込み用紙.まさに飴とムチと無知.甘さと痛みは順番でなく同じタイミングで俺に与えられました.でもそのおかげで俺はしばらくの間ここで失った15000円分を浮かせるまで遊びを減らすことにしたのです.ま,過ぎたもんはしようがない.ポジティブに利用せねば,というナイスな機転であります.
 もう一つ,週末のコンサートは言わずとしれた,年上の方とのらんでぶ~.忘れない~!恋心~!ってね.ap bank っていう音楽家たちの環境系コンサートです.ミスチルやbank band ,中島美嘉,スガさん,ポルノっていうなかなかそうそうたる面子が出演するのでコンサート自体もとっても楽しみ.
 ま,こんな風に時間は容赦なく過ぎていくので「やるべきこと」を先に先に持って行こうと思ったのです.遅すぎるスタートではありますが,頑張ろう.イエー!
  1. 2005/07/15(金) 11:09:48|
  2. こんな感情
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ドライブ

 今日は二人の美女に呼び出されて海までドライブしてきた.どのくらい美女かというと,もう俺なんかが付き合いたくない程(ごめん,もちろん「付き合えない」の間違い)のちんちくりんども何ですが,これが悩んでおりまして,ま,出動したろうかな,と軽い腰を持ち上げたわけです.しかし海まではとても道が込んでいて,江ノ島に着くまで3時間もかかってしまいました.その上俺が着いたとたんに雨がざぁざぁ降り始めるし「うぇうぇ~」という感じのテンションだったわけです.しかし待ち合わせのコンビニに着いてみると俺以上に「うぇうぇうぇ~」な二人が「私ってもう駄目なの,そうなの,いけないの」という風に存在の耐えられない軽さをしきりに主張していました.それを受けまして,わりと相対的にバランスを取って生きる私はポジティブスウィッチが入ったようで,人生はこうよ!女はこうあるべきよ!と知りもしないコトを非常に断定的に無責任に発言してきました.この美女二人組とは一年生の頃から同じ集団に属しており,なかなか他人に興味を持たない俺でも,そんな俺なりにその性質に関してある理解をもって接することのできる長い付き合いの人たちなのです.彼女らに学ぶことは自分を否定することの目的化,いわゆる日本人としての「謙遜の姿勢」に通ずるものです.それは決して彼女らを否定したり馬鹿にした発言ではないことだけを理解して頂き,続けさせてもらいたいのですが,俺は自己認識における「相対性」に関して,非常に起こりやすい間違いを彼女たちがしているのではないか,という疑いを持ちました. 
 まず,「肯定」「否定」というのは大抵の関係において,他人が決定するものではなく,自分自身によってなされるものだ,という気づきを俺が先日したことから説明したいと思います.つまり,人間のアイデンティティなるものは結局二者間の関係における「意味」の集合なんじゃないの?ということで,その「意味」とは,例えば客観的事実としての169cmというのが日本人男性の身長として「高い」のか「低い」のか,という時,そこにはまず「高い」,「低い」という概念の必要 -ex)高い所のものを取る必要- などがあり,そうした大小様々な文化的文脈を踏まえて他人の視点から相対的に「高い」「低い」という「意味」がアイデンティティとして付与される,ということである.そこに集合意志としての「評価」だったり,「肯定・否定」が他人の言葉として現れることは実は非常に稀であること,もしくはそれが決してみんな異口同音に同じ評価をするはずないこと,によって説明されるのは,常に自分を肯定・否定するのは自分であり,「自分は駄目だ,駄目なんだ」と言ってヘコんでいる人は自分の意見を他者総体の意見と捉え違えていること,と考えられないだろうか?
 まぁ「肯定・否定」という二分化は単純明快でラクだからね.脳の容量を食わないために圧縮された情報の表層的なラベルとでも言うべきものなのかもしれない.物事を深く考える人はおそらくきちんきちんと情報を解凍して反省することができるのでしょう...
 昨日だったかここに「その人の本質的な部分」という表現をしてみたが,それはあくまでも三つ子の魂というような意味であり,イデア世界に存在すると考えられるような「本質」ではない.むしろイデア世界に存在するような「本質」とは,評価の対象にされない絶対的なものであろうし,やはり評価というのは日常的な範囲において,他人によってなされるモノというよりは,むしろ大抵の場合自分自身の思いこみや,情報の簡略化がなすものであると考えられはしまいか.「自己否定」という現象が生じやすくなるその説明として俺が考えるのは,やはり日本人的な「謙遜の姿勢」に発動される無意識の内の比較,そして「意味」の「謙遜的」書き換えのためではないだろうか,ということである.
 二者間の関係が日本人的なコミュニケーションの場において自分自身を評価する必要性を生じる,ということが,今日一緒にドライブした彼女たちの漠然とした「悩み」の裏側に見えた気がする.ちなみにこれは文脈によって評価基準は真逆になったりもするのだろうが,昨今僕らのような世代がする話題とは,非常に限られた文脈の中で行われる -ex)恋,性,就職- ため,自分自身への「肯定・否定」が個人についてしばしば偏るものとなる原因はそこに認められそうだ.しかも発端として自分で行ったその評価は,他者との間に言葉で確認されることによって,自分の中でも集団の中でも強化され,定着してしまうことだろう.
俺は思う.自分自身を評価すること,そこにポジティブであったりネガティブであったりという性質が現れるのではないだろうか?それならば思いっきり自己中に過ぎるほど自分を肯定してやることが漠然と自分を悩ませるネガティブさからの脱却方法なのではないだろうか?俺はある集団の中で「おバカで無計画な野郎」という評価を持っている,しかしそれが「勢いで人を巻き込んで楽しそうにしてるヤツ」という「肯定」につながっているのはやはり自分がそれを肯定してきたからこそ,だと思う.

なぁんて偉そうな文体で書いたがわかっていただけただろうか?Aちゃん,Sッスィー?
  1. 2005/07/10(日) 03:16:35|
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七夕の想い出

昨日は七夕だった.「東京ではもう10年ほど七夕には晴れない」という話を友人から聞いたが,しかし「へぇ,そうなんだぁ」という無感動に過ぎる感想を持って,織り姫とひこ星の大恋愛に対する関心の低さを改めて実感した.そうして昨日,21回目の七夕の想い出が自分の中に残された.しかし俺はどの一回も瞬時には鮮やかな記憶を持って思い出すことができない.きっと毎年特別にやることなんてなくて,スーパーなんかの角に申し訳なさそうに置いてある笹の枝に「世界平和」と書いた折り紙をぶら下げたりなんかしてきたのだろうと思う.
過去を振り返ることが多くなって,自分の中にあった「宙を浮いているイメージ」が薄らいでいる.羽を失って降り立った大地に「現実」という名前がついていたところで,それは一つの虚像に過ぎないとは思う.しかし昨日友人に言われたのは,「虚像からも得るモノは多い」ということであり,正にその通りなのだろう.私の中にあるタナトスはエロスと共にその姿を消したのだろうか.高校生までは,社会的に無価値な存在であるという自己理解のもとに私は道を得ることができた.しかし,虚像の中にあってあるシナリオ(虚構)に登場する自分は,役割と価値を付与されて意志のないモノになってしまうのか.
今年の七夕の想い出は,しっかりと心の中に取っておこうと思った.
  1. 2005/07/08(金) 11:34:06|
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こんばんは

 一時帰宅。ということで一週間ぶりの日記をつけようと思います。
いやぁ、教育実習というのは大変だぁ。やっぱり子どもと言っても「人」を相手にする仕事というのはかなりの心的負担を要するものです。しかも生徒だったり教師だったり、義務的に人と付き合いをしなければいけないという環境は多分に僕を人間疲れさせてしまいます。生徒たちの大部分は、もうすっごい可愛らしいのですが、ちょっぴり利かん坊な奴らもいるわけで、とにかく「ナメンナヨ」「メンチキッタルデ」の子たちは正直一筋縄ではいかず、苦労しています。先生たちとは飲みの機会もあり、懐かしの有隣堂5階の某居酒屋で体育大会の打ち上げがあったのですが、生徒のときには見えなかった先生の中でのタテの関係というのが中に入ってみるとかなり生々しく見えてくるモノで、ちょっとした戸惑いと、慣れない息苦しさがありました。
 昨日体育大会があり月曜日が代休となったので、明日は授業案でも作ろうかと思っています。ちなみにサルが授業をするのは中学一年生の歴史、中国の古代文明と、日本の縄文、弥生時代です。今まで自分は物事の背景にある歴史については「てんで興味ない」という姿勢だったのですが、勉強してみるとなるほど史学科にでも転向したいな、というはまりっぷりで、秦の始皇帝や孔子の思想なんかについて、ふむふむと熱心にやっていたりします。
 人にモノを教えるというのは大変な作業です。「10知っていても出せる情報は5くらい、生徒が理解するのは2か3くらい」と言う言葉を担当の先生から聞きました。確かにその通りだと思います。ある生徒は一年生の初めの中間テストで取った21点のテストをにこやかに僕に見せてきました。「メンチキッタルデ」予備軍になるのかと思うとやっぱり救ってあげたくなる人情で、残り2週間頑張ろう!と思います。
 ということで今からストレス解消のために夜の闇へ消えてしまおうと画策するサル氏は、愛車スターレットに乗り込む前にお風呂にて禊ぎを行うつもりです。それではアディオスアミーゴ。
  1. 2005/06/19(日) 23:15:44|
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北朝鮮戦

タイでは先ほど日本がドイツ行きを決めました.
猿は後半から見ていたのですが,フォワドのかなりアグレッシブなアプローチが見ていて気持ちよい試合だったと思います.後半だけ見るとかなりラフプレイも目立ったりしましたが,俺はとにかくオオグロ君のしつこさが好きでした.
日本は泥臭い試合が似合うよね.
そして川口選手が○んちゃんに超似ていることにもびっくり.手のでかさとかね.
ドイツは「来年の明日」開催です.もうそのころには俺はアメリカ留学から帰ってきていて,どういう風に今この時期の自分を振り返るのか.正直言って俺は日本のサッカーよりも未来の自分に想いを馳せています.
明日はビザ申請の面接があり,それに通ればそのあとはもう勉強して出発するだけです.周りの人たちが社会に出て行く準備を始め,道を決め,俺はもう後戻りできないという気持ちと,後戻りしたいという迷い,そしてこの一年を大切に,ジャンプの前の良いステップにしたい,という色々な気持ちが,今,心の中に文字通り「渦巻いて」います.
ま,とにかく日本勝って良かった良かった.
  1. 2005/06/08(水) 22:06:33|
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6月7日7時4分

ウチの二階の食事テーブルが窓から青くこぼれ入る日没後の残り香の中でとても綺麗だった.
  1. 2005/06/07(火) 19:22:03|
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サボり

 最近学校をサボりがちです.俺の場合,何かリミッターがはずれると新しい基準線をより緩めに作ってしまうという性質があり,特に時間に関してはどんどんルーズになっていく傾向があります.このように,猿は社会に対してとても不適応を起こしているわけですが,猿は所詮猿,というふうに自分に甘いのです.
今日は夜のバイトまで何処か木陰に車を止めて読書に耽るつもりです.何か五月病までルーズに一ヶ月遅れでやってきたみたい.
 日曜日には教育実習のため引っ越しです.戸塚に住むのは初めてですが,勝手知ったる我が故郷という感じで3週間楽しんできたいと思います.既に行った人,アドバイスをおくれ~!
  1. 2005/06/07(火) 11:14:59|
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出身地「まつり」

 色々とあった長い二日間が過ぎ,昨日,深夜12時過ぎはとても空気が綺麗だったので,車で深大寺に行き,寒いのにT-シャツ,半ズボンでお星様に願い事をしてみようと思いました.しかし残念ながらお星様は見えず,誰にも電話はつながらず...
 何日かお酒を飲まず,タバコも吸わず,健康的に過ごしていたのは,この二日間,とある「お祭り」に参加していたためなのです.横浜市戸塚区にある某大学の「地域と学生,教職員で作り上げる!」というそのお祭りは今年は6月4日,5日の土日に開催されたわけですが,実は自分は,一年生,二年生の間,そのまつりをつくる側にいました.地域の人と大学との相互のネットワーキングが目に見えて行われていくその場で,自分がその仲立ちとして介在していることはとっても素晴らしい経験で,今の俺の多くの部分を形作っている要素が,その二年間につくられたような気がします.
 まぁそんな風に,猿の好きなセンチメンタルな懐古は置いておいて,今年のお祭りの話に戻ると,俺はほとんど一カ所にいたためにまつりの全体像を見ることはできなかったというのが本音です.それでも少し感じたのは,やっぱり参加者側の視点で見ると,関わり方によっては意外に当日その場で生まれるつながりは少ないということでした.
 僕らは同い年のまつり制作委員会の面子で屋台を出した(俺は計画段階に関わっていないのですが)わけですが,友達は相変わらずと言えば相変わらずの奴らで,お互いに二日間また真面目に付き合ってみたら,とっても疲れたわ~,という感じを誰しも少なからず抱いていた気がします.お好み焼き屋の売り上げは予想していたよりも上がり,後日飲み会にてみんなのために使われるそうです.彼らは大学四年生ということで,もうそれぞれ将来の道を決めつつあります.俺(一人称がメチャクチャでごめん)も含め,まだ決まってない人たちの中には,先の見えない不安を抱いている人もいますが,それでもこの二日間はお好み焼きのことばっかり考えていたかと思います.それに,実際に屋台でものを売るというのはとても楽しい経験でした.
 社会に出るということは,今まで以上に自分の外側にあるルールが強くなるということで,今まで感じていた気楽な友情の持つ意味は急速に弱くなってしまうのかもしれません.それは中学や高校,大学に進学していく,その切り替わりの時期にいつも感じていたことではありますが,ここに来て,四年間付き合ったみんなが,「まつり」以上に「自分」であることを確認し,そこから旅だって行くという想像は,寂しくもあり,とても喜ばしいことでもあります.しかし例え完全に僕らがそこから旅立ってしまったとしても,「同郷の徒」であるという新しい位置づけはそこに在り,僕らは疲れたとき,泣きそうなとき,時々息抜きに帰ってきても良いのだろう,と俺は思っています.
 昨日の夜は,久しぶりに独りでいたい時間でした.3時近くまで続いた一人きりのドライブは,俺をへとへとにさせて泣くこともできませんでしたが,確かに今までばらばらに自分の中にたまっていた何かが,振り返って眺めて見れば,実は俺を成長させる何ものかだったのかもしれないという,実に不思議な気持ちで過ごした一晩でした.


20050606123457.jpg

  1. 2005/06/06(月) 12:35:41|
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らしさ

最近,髪が伸びた私を見て「え~,悠先輩らしくな~い!」って言う後輩の意見によく出会う.しかもその後必ずと言っていいほど,「昔の方が良かったですよ~!」だ.何か心なしか話もうまく続かなかったり,笑顔も無かったりと,悲しいコミュニケーションがその後に続く.昔,俺が戸塚キャンパスの生協にいると,「私悠先輩大好きで~す!」ってワラワラとたかってきた彼ら彼女らが懐かしいです(T.T)
・・・しかしなんじゃそりゃ?俺「らしさ」って?最新の俺はいつもここにいるのに,俺「らしさ」っていうのは別の場所にいるわけデスネ~.しかし人の目とか評価に正直な猿(←最近この名前に違和感を感じ始めているのも俺の中のいろいろな帰属意識が変化してきているからだよね)はそんなことを感じながらもいちいち「あぁ,やだなぁ,へこむなぁ...」って思ってしまうのです.
う~ん,だから俺が考えた対応策としては,やっぱり「俺はいつでも俺らしい」と思える,つまりいつも自己最高記録を更新し続けられるっちゅう,「昨日の俺,さっきの俺に今の俺は絶対負けないぞ!」っていう姿勢ですね.素晴らしい!なんと前向き!俺サイコー!そっそ,何一つとして「自分のもの」とか「所有」なんてないんだから,何か付属物が補完してくれるという補償は,まず現実的ではない.このタンパク質の壁の内側が一番大切な世界なんですよね.ようし,今を生きる!今が一番大切!負けないぞ!逃げないぞ!へこたれないぞ!弱みを見せないぞ!弱音を吐かないぞ!人を大切にするぞ!自分ってこういう人なんだよ,って自信を持って人に主張できる人間になるぞ!気合いだ!気合いだ!気合いだーーーーーーー!
  1. 2005/06/04(土) 09:59:40|
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